生死の境をさまようバイク事故でラーメン作りを決意 茨城の人気店『自家製ラーメン アイリー』の店主、ラーメンに捧げた20年の軌跡を追う【TRYラーメン大賞全国版】
高校時代はボクシング、辰吉父の言葉「一番になれ」
高校時代、「男に生まれたからには強くなりたい。自分の力で名前を残したい」という思いでボクシングをやっていた。 「当時憧れていた辰吉丈一郎さんの父・粂二さんの言葉に『なんでもいいからから一番になれ』というものがあり、それが自分の人生を動かしてくれた気がします」 さらに、「バイク事故で一度は死んだようなものだと思って頑張ってみよう。何をやっても長続きしなかったこともあり、親にまた始まったと言われるのも嫌なので、本気でやるなら東京に行こうと決意表明も込めて動きました」と話す。 懸命にリハビリに励み、2007年、左足を引きずりながら『麺処 くるり』の門を叩いた鴨志田さん。ラーメン店として一番を目指す修業が始まった。
疎遠になっていた店主に、麺作りを改めて乞う
「ラーメン屋になるとはまったく思っていなかったし、考えたこともバイク事故に遭うまではなかった」と話す鴨志田さん。生死の境をさまようような事故に遭ったことより、結果的に情熱を注ぐことができるラーメン店という生涯の仕事を見つけた。 味噌ラーメンの名店である『麺処 くるり』に入った時、店主から「独立したいなら、いろいろな店を経験したほうが良い」とアドバイスをもらったという。そこで次に入店したのが、『ラハメン ヤマン』(東京都練馬区)だ。 『ヤマン』の門を叩いたのは、自家製麺であったこと、すべての味のラーメンが揃っていたことが理由だった。約2年間、勤めた。辞めたあと、店主の町田好幸さんとは「一時は考え方の違いにより、3年ほど疎遠だった」というが、『アイリー』を開くにあたって、町田さんに麺の作り方を改めて教わりたいと願い出たところ、快諾された。「ヤマンの麺が世界一美味い」が理由だ。 店名の「アイリー」は、ジャマイカの方言であるパトワ語で「幸せ」や「楽しい」を意味する。ジャマイカの言葉を店名に使った理由は、「レゲエを愛し、ジャマイカ文化に造詣の深い『ヤマン』へのリスペクトから」という。