和と中華のだしが生み出す、新たなそばの可能性 中華料理の巨匠・脇屋シェフがそば割烹をオープン
【森脇慶子のココに注目】「蕎麦割烹 橙」
あの中華の巨匠が、そば割烹をオープン。そう聞いて、思わず耳を疑った方も多いのでは? そう、昨年12月に産声を上げた「橙」は、脇屋友詞シェフが長年の夢を叶えた正真正銘のそば割烹だ。
実は脇屋シェフ、昔から大のそばフリークで、地方に出かけてもおいしいそば屋を訪ね歩くほど。曰く「そばそのものはもちろん、神田『まつや』のように、時がゆったりと流れていくようなそば屋独特の空間も好きなんです。酒肴をつまみながら一献傾け、そばを待つ。あの雰囲気ってたまらなくいいでしょう?」。
店の場所は銀座。新築ビルの3階。それも、脇屋シェフの自社ビルだ(ちなみに1階2階は脇屋シェフが腕を振るう中華料理店)。せいろ一枚をサクッと食べて席を立つ。江戸っ子気質のそば屋もいいが「銀座という場所柄、ゆっくり過ごしていただけるように割烹スタイルにしてみました」と脇屋シェフ。
そば打ちと店を託したのは、料理人歴30年の森大和さん、48歳だ。脇屋さん行きつけのそば屋の一つ、西荻窪「鞍馬」の主人・吹田政己さんの紹介で知り合ったそうで、吹田さんと同じく「翁達磨」出身。そば界のレジェンドとして知られる高橋邦弘氏の下でみっちりと修業、現在も高橋氏のイベントの際は招集がかかる愛弟子の一人だ。
中学生の頃、地元埼玉・大宮のそば屋でそばを打つ職人の姿に憧れ、そばの道を選んだ森さん。高校3年の夏、学ぶべきそば屋を見つけるため、信州長野のそば屋をしらみつぶしに食べ歩いたのだとか。
しかし、これというそば屋に出合えずにいた時、たまたま食べに行った戸隠のそば屋の主人から聞かされたそば屋が長坂「翁」だった由。そこですぐさま訪問し、そばを食べるや即決。その門戸を叩いた。当時の熱い思いを森さんはこう語る。「それまで食べ歩いてきたそばとは、もう別格で。そばの経験値の低い当時の私でも心底旨い!!と感動しました」
高橋氏の下で学ぶこと4年。1999年、永田町にオープンした映画監督・黒澤明ゆかりのそば屋「永田町 黒澤」の立ち上げに参加。7年間、そば打ちに勤しんだという。その後、地元埼玉の和食店で11年間修業。そば打ちと和食、双方の経験を積んだベテランである。