「光る君へ」の紫式部が暮らした越前国府はどこにあるのか 謎解き発掘プロジェクトに挑む
その根拠のひとつになっているのが、平安時代初期に成立したとされる古代歌謡『催馬楽(さいばら)』。「太介不乃己不尓(タケフの国府に) 和礼波安利(我はあり)…」と歌われている。
また、紫式部が、越前で初めて迎えた冬に詠んだとされるこんな歌も大事な手掛かりだ。
<ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松にけふやまがへる>
武生(たけふ)から間近に見える日野山は越前富士と呼ばれ、紫式部は雪に覆われた日野山を眺めながら、京都の西にある小塩山の松原に降る雪を思い起こしている。紫式部が都に戻った後に起筆した源氏物語にも武生の地名が登場する。
■4つの説
平安時代の越前国府の所在地は、福井県越前市の「旧武生市街」が定説だが、その範囲については昭和11~53年に4つの説が提唱されている。古代条里制の道路の推定の違いなどによるズレで、どれが正しいかの決着は今もついていない。
飛鳥時代から一等地であったことを示す深草廃寺や、地域の神々を勧請して国司巡拝の便宜を図ったのがルーツとされる総社大神宮の存在も定説の根拠で、発掘調査地が進められている本興寺とともに全4説の範囲に含まれている。
紫式部が越前国府に来てちょうど千年後の平成8年度には、前田利家が築城した府中城跡の「B地点」から、国府の近くに設置されることの多い「国分寺」「国寺」の文字が記された墨書土器が発見され、定説はさらに強化されている。
■まち再生の原点に
大河ドラマ「光る君へ」では、23日放送の第25話「決意」まで5回にわたって越前が舞台となり、吉高由里子さんが演じる主人公のまひろ(紫式部)は、松下洸平さんが演じる中国・宋から来た見習い医師・周明(ヂョウミン)と交流したり、越前和紙の紙漉き作業を見学するなど充実した日々が描かれた。
放送の影響で、撮影で使われた衣装や小道具などを展示する「光る君へ 越前大河ドラマ館」や紫式部の像が立つ紫式部公園は多くの観光客でにぎわい、本興寺の発掘現場に立ち寄る人も目立ってきている。
発掘調査に参加している井上和治さん(73)は、かつて地元の県立武生高校の郷土史研究部で古代寺院の発掘を経験したことがあるという。井上さんは「武生に国府が『あったらしい』と『たしかにあった』では全然違う」という。大河ドラマによって地元の関心も高まっているといい、「発掘で国府を特定し、まちの再生の原点にしたい」と熱く語っていた。(川西健士郎)