「1年で潰れる」と言われて「日刊ゲンダイ」は50年…寺田俊治社長が激白 最大の売り“激烈な一面見出し”は「私が1人で付けています」
1969年の創刊以来、半世紀以上の歴史を誇った夕刊フジが2025年1月末日をもって休刊となる。この厳しい現実を、夕刊紙のライバル2紙の経営者はどのように受け止め、何を武器に、いかにして活路を切り拓こうとしているのか。昔日刊ゲンダイの記者として21年間(1986~2006年)、今東スポにフリーのコラムニストとして15年間(2010年~現在)書き続けているスポーツライターの筆者が忖度、駆け引き一切無し、ど真ん中の直球勝負で迫った。 【写真を見る】「日刊ゲンダイ」寺田俊治社長と編集部 【前編】に続き、日刊ゲンダイ・寺田俊治社長のインタビューをお届けする。【赤坂英一/スポーツライター】【前後編の後編】 ***
日刊ゲンダイ・寺田俊治社長(65)は1983年、後輩の私はその3年後の86年に入社している。当時、私はズブの新人で会社の経営状態など知る由もなかったが、「ここはいつ潰れるかわからないぞ」「転職先を探しておけ」という先輩社員が大勢いた。今、夕刊紙は存亡の危機と言われるが、あの頃の日刊ゲンダイにもいつも漠然とした危機感が漂っていた。私がそんな記憶をぶつけると、2016年に社長に就任した寺田氏は、笑みを浮かべて言った。 「今回はデイリー新潮さんの取材だから、夕刊フジが潰れて、残りの夕刊紙はいつ潰れるのか、というタイトルでやるのかなと、覚悟を決めて受けることにしたんだけどね(笑)。俺自身は、この会社に入った時から、明日にも潰れるだろうと思ってた。本当だよ。実際、日刊ゲンダイが創刊された1975年、川鍋(孝文=当時編集局長、のち社長、会長)さんが五木寛之さんに『毎日エッセイを連載してくれ』って頼んだら、さすがの五木さんも驚いて、『毎日ですか、いつまでやるんですか』。そう聞き返すと、川鍋さんは『大丈夫、大丈夫。1年ぐらいで潰れるから』と答えてるんだよ。そうしたら、(1975年10月27日に)創刊されてすぐ、国鉄がストライキ(スト権スト、11月26日~12月3日)に入った。そのころはコンビニなんてないから、いくら刷っても7日間1部も売れない。これはもう絶対に潰れると、誰もが思ったそうだ」 しかし、1976年2月にロッキード事件が勃発。日刊ゲンダイは前編で寺田氏が強調した「大手新聞」とは違う「本当のこと」を書き、疑獄に連座した政治家の実名を伝え、週刊誌より早く毎日徹底批判を繰り返し、読者の支持を得る。こうして固定読者層を掴み、部数を伸ばして、「反権力のゲンダイ」ブランドを確立したのだ。