志ん朝師匠にあこがれて 江戸前でかっこよく 一番ひどかったのは談志師匠のコピー 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<8>
《バンド活動の一方、落語研究会(落研(おちけん))にも力を注いでいた。明治大学の落研は人気、実力とも非常に高く、1千人以上が入るホールを満員にするほどだった》 高座名は4代目、紫紺亭志い朝。明大のスクールカラーである紫紺と芸能人の言葉でC調(調子いいを逆から読んだ)にひっかけました。落語は高校時代からうまかったんです。 ちなみに5代目が現在落語家の立川志の輔君、6代目がタレントでコント赤信号のリーダー、渡辺正行君です。 落研のメンバーはだいたい、活字でなく、テープを聴いて落語を覚える。だから何回も何回も聴いているうちに、その落語家さんの口調になっちゃう。学園祭で学生が落語をやっているのを見ると、誰をコピーしたかが分かるんです。 一番ひどいのは立川談志師匠のコピー。出てくるときから、ちょっと口を傾けて、談志師匠になっちゃっている。学生がまねをするといやらしくなってしまう。難しいんです。 あのころ、(五代目)月の家円鏡(後の八代目橘家円蔵)師匠とか、(五代目)三遊亭円楽師匠とか人気のある落語家さんは癖が強かった。 その中で、古今亭志ん朝師匠は江戸前の本当にかっこいい口調でした。細かい人間描写で人情噺(ばなし)を語る。気持ちよくてね、志ん朝師匠の江戸言葉。 だから、志ん朝師匠のまねをすると癖が出ないで、きれいなコピーができるんです。 《月の家円鏡氏は明るい芸風で、「ヨイショっと」「うちのセツコが…」のギャグ、テレビのクイズ番組の解答者、ラジオ「ハッピーカムカム」(ニッポン放送)などのパーソナリティーとしても親しまれた。平成27年死去。享年81。 三遊亭円楽氏は若手時代は「星の王子さま」の愛称で売り出した。師匠、六代目三遊亭円生氏ゆずりの人情噺を得意とし、「芝浜」「中村仲蔵」などが十八番(おはこ)だった。テレビ番組「笑点」(日本テレビ系)の司会でも親しまれた。21年死去。享年76。 古今亭志ん朝氏は五代目古今亭志ん生氏の次男。「火焔(かえん)太鼓」などを端正かつ格調高い口調で演じた。13年死去。享年63》
【関連記事】
- 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<7>バイトで小笠原を満喫中 サメの巣に!? チークタイムにコマ送りで照らされた禁断の所業
- 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<6>赤羽キャバレーの熱帯夜 「17才」に涙 ロック演奏の「ゴーゴータイム」でドラムの特権
- 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<5>恋の「若大将」計画が…大学もバンドと落語 入学直後の別れに「ちょっと待ってくれ」と
- 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<4>高校ではお笑いと音楽の「二刀流」 列車でギター演奏も「貸して」と言った女の子たちが…
- 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<1>「持っている」 人に恵まれ今ここに サザンオールスターズには足を向けて寝られない