渋谷でラムネを販売していた老舗飲料企業が創業100周年 代々受け継がれてきた大切な教えとは?
日本初 紙容器の業務用コンクジュースで飛躍
二代目・三田耕吉氏は、ビジネスモデルをラムネから果汁飲料に転換し現在の三田飲料の礎をつくる。 1962年(昭和37年)、健康食品として無添加純正のりんごジュースの製造を開始。「りんごには、風邪をひいたときに、すりおろして飲まれる滋養強壮のイメージがあり、りんごジュースを皮切りに他のジュースも手掛けていった」という。 1970年(昭和45年)に、三田飲料へと社名を変更。1973年(昭和48年)に再び大きな飛躍を迎える。日本初となる紙容器による業務用コンクジュース(濃縮果汁飲料)を開発したのだ。 「容器をリターナブル瓶から紙に変えたのは、当社にとって一番大きな転機であった。牛乳の紙容器は既に市場にあったが、果汁では当社が本邦初。同じ紙容器でも、中性域の牛乳用とは構造が異なり、シール部分が薄く、最初の頃は漏れることもあった。それでも瓶に戻さなかったのは、相当の覚悟があったのだと思う」と振り返る。 リターナブル瓶は使用後に回収を要することから、商圏は渋谷界隈に限られていた。 ワンウェイの紙容器に変えたことで商圏が一気に拡大。1980年代になると居酒屋ブームの波にも乗り、喫茶店向けの濃縮ジュースに留まらず、レモンサワーなど酎ハイの割材として製品を提案して居酒屋業態の販路を開拓。以下のとおりに設備を増強しながら成長を遂げていく。 ――1976年(昭和51年)、業務拡大のため日野工場を建設・移転 ――1987年(昭和62年)、アセプティックパック(無菌充填)システム導入 ――1988年(昭和63年)、八王子市に新工場を建設・移転 ――1990年(平成2年)、八王子第二工場を増設 ――1994年(平成6年)、無菌充填ルームとUHT殺菌ラインを増設 ――1996年(平成8年)、世界で初めて常温保存可能な100%のイタリアンブラッドオレンジ製造開始
創業100年 三田大介社長「従業員の皆に感謝しかない」
三代目・三田大介社長は1967年、神奈川県茅ケ崎市生まれ。56歳。玉川大学農学部農芸化学科食品製造化学研究室卒業後、1990年に菱食(現・三菱食品)に入社し、3年勤めた後、1993年4月に三田飲料へ入社する。入社してしばらくはもちろん平社員から。先輩社員から学ぶ日々であった。2001年、取締役副社長に就き、2005年から現職。 「父親からはいつも“大きさよりも釣り合いが肝心”と言われており、会社の明るい雰囲気を大切にしていきたい。9月に創業100年を迎えるにあたり従業員の皆に感謝しかない」と語る。 製品開発は「一歩先を見据えて半歩先の製品を出していく」。 多品種小ロット生産の進化にも意欲をのぞかせる。 「大手がやり難いであろう事こそ我が社がやるべき仕事であり、お客様があっと驚き、笑顔になる細やかな製品を創造し、作り続ける事が我が社の使命だと考える。最近では製菓原料に踏み込むなど、少しずつ製品の領域を広げていく」との考えを明らかにする。