「一番力のないDeNAだからこそ、一番優勝のチャンスもある」初代監督・中畑清が12年前に予言していた「日本一へのシナリオ」
26年ぶりの日本一を成し遂げた横浜DeNAベイスターズ。「下剋上」という言葉通り、ここまでの道のりはけっして平坦ではなかった。 【写真】す、すけている…全米も絶賛!大谷翔平の妻・真美子さん「衝撃のドレス姿」 かつて「日本一の弱小チーム」と呼ばれていた球団はいかにして奇跡の躍進を遂げたのか。その礎を築いた男こそ、中畑清DeNA初代監督だった。 前編記事『「キヨシが始めた物語、ついに完結」DeNA優勝の礎築いた中畑清、12年前の秘話「俺があの時監督に固執したワケ」』に続き、12年前の監督就任時のインタビューから、中畑が描いた「優勝までのシナリオ」を紐解いていく。
チーム作りは「建設的な苦しみ」
中畑清(取材当時58歳)といえば現役時代、長嶋茂雄から「地獄の伊東キャンプ」で延々とノックを浴びせられ、しごかれた経験の持ち主。それゆえ、中畑自身も監督就任にあたり、《長嶋イズム》を継承する考えを持っていた。 「毎日7kmほど歩いたり、何十年かぶりに自主トレをして鍛えた。キャンプでは1時間ノックも敢行する。怪我をしたら元も子もないけど、このチーム(DeNA)はそれくらい厳しくやらないといけない。コイツをチームの柱にしようと思う選手がいたらとことんやる。マンツーマンでのノックになるかもしれない。そういう選手が1人じゃなく、2人、3人になってほしい」 もちろん、元気だけで勝てる世界ではないことは、中畑自身が一番よく理解している。では、4年連続最下位のチームをどう立て直すのか。 昨季(2011年シーズン)のチーム最多勝は三浦大輔と高崎健太郎のわずか5勝。打撃面に目を向けても、主砲の村田修一がFAで巨人へ移籍。その巨人からラミレスを獲得したものの、お世辞にも戦力が整ったとはいえない状況だ。さらにいえば、即戦力をもっとも必要とするチームにかかわらず、ドラフトで指名した9人のうち8人が高校生だった。 「おそらくペナントレースは苦しむ。だけど、その苦しみが、苦しいだけでは終わらないはず。なぜならチームが変わっていく。チームを作っていくという建設的な苦しむだから。周りは『一番の弱小球団で、戦力もそんなに整っていないのに』って言うけれど、俺にとってこんなにいい条件はないと思った」