長期ブランクから復帰のマリーゴールド翔月なつみ、初めてのベルトを守る立場で奮闘中!
【WEEKEND女子プロレス#41】
マリーゴールドの初代スーパーフライ級王者・翔月なつみは、長いブランクを経てプロレスに復帰した。もともとは2012年1月にスターダムでデビュー。プロレスとの出逢いは、舞台でプロレスラーをめざす高校生を演じたこと。役作りのためプロレスの練習に加わったのがきっかけだった。 ▼初代スーパーフライ級王者・翔月なつみ(写真ギャラリー/撮影:新井宏) それ以前には美容師として働いていたのだが、故郷の尼崎に一度戻ったあと、女優をめざしあらためて上京。そのときに出逢ったのが、元女子プロレスラーのMARUが主宰する劇団「水色革命」だったのだ。 「プロレスはまったく知りませんでした。自分は少林寺拳法をやっていたのですが、プロレスと格闘技の違いとかもわからず、まずは実際のプロレスを見にいくところから始めたんですね。それが旗揚げ間もないスターダムで、私よりも若くて細い子が闘っていたんです。しかもすごく痛そうで、私には到底無理だろうなって。やったとしても説得力は出せないと思いました」 それでも練習に参加し、練習生と一緒に基礎体力づくりから教わることができた。ここで出逢ったのが風香。実際の舞台では試合シーンこそ少なかったものの、道場での経験がプロレスへの興味を駆り立てていく。 「役を通してですけど、こうやってプロレスラーになっていくという過程を体験して、プロレスっておもしろいと感じたんですね。その舞台には安川惡斗、宝城カイリ(現カイリ・セイン=WWE)もいて、2人とも引き続きプロレスをやりたいと言い出したことも、自分がプロレスにいくきっかけになりました。もし独りだったら、プロレスラーになる決心はつかなかったかもしれません」 こうして翔月は惡斗、宝城とともにスターダム3期生として入門し、デビューを果たした。13年2月には、愛川ゆず季とのワンダー・オブ・スターダム王座戦でベルトに初挑戦。同年 4・29両国国技館では宝城との宝翔天女でゴッデス・オブ・スターダム(タッグ)王座を奪取し、大舞台で初戴冠をやってのけた。 ところが、5月に腰と首を負傷しスターダムを退団。のちに引退を表明し、芸能活動からも退いた。 「2週間くらいまったく起きられない状態になりました。これを乗り越えてレスラーをできる未来が描けなかったですね。試合をしているときも一生懸命、必死すぎてこうなりたいという欲も出なかったというか、こういう選手になりたいという夢を抱く暇さえありませんでした。そこでケガをしてしまい復帰のめども立たず、いったん区切りということで、やめさせていただくことになりました」 彼女の名前を再び聞いたのは、19年の女優復帰。それまではいったい何をしていたのだろうか。 「ふつうに社会人として、税理士事務所とかで働いていましたね。美容師をやっていたことから自分のお店を持つのも楽しいかなと思って。だったら経済の勉強をしようと思い、税理士事務所に入って経理の勉強をしたりしていました」 が、定時の仕事に刺激は少なかった。周囲の友人たちは結婚し家庭を築いていく。そんななかで「30歳になる年にもう一度戻ってみようかな」と家族に相談し、俳優業に復帰した。ところがコロナ禍に見舞われ、その活動も大きく制限されてしまう。 それでも、旧知の坂口敬二アクトレスガールズ代表から声がかかった。アクトレスの新プロジェクトに誘われたのだ。それはプロレスではない、リングを使ったエンターテインメントだという。 「プロレス界からは脱退して、新しく演劇を取り入れたものをやるから来てくれないかとの話でした。プロレスラーとしてはブランクもあるしホントに自信がなかったけど、知っている人もいるし、お芝居でなら何か力になれるかもしれない」 こうして、21年11月6日の新木場に登場。アクトレスはこの年をもってプロレス団体としての活動を停止した。こうして独自の世界観を作り上げていくのだが、やがて翔月には違和感が芽生えてしまう。 「プロレスではないけど、やっていることはほぼプロレスで。だからといってプロレスでの取材は受けられないとか、(メンバーによってはほかの)舞台に出られない時期もあったり。いったいなんのためにエンタメの枠でやっているんだろうとの疑問が募ってしまったんですね。それがちょうど自分がプロレスラーとしての感覚を取り戻してきた頃で、ちょっと自信も出てきたというか、自分で思っていた以上に試合できるんじゃないかと感じていたときだったんです」 しだいにプロレスへの思いが大きくなっていった翔月。そんなころに聞いたのが、新団体の設立だった。 「(スターダム時代から知っている)ロッシー小川さんが旗揚げするとのことで、プロレスをやりたい子はそっちに行った方がいいんじゃないかなって。それでまたプロレスをやろうということにしたんです」