「地震で全部壊れたからこそ、新しいことできる」 33歳〝塗師屋〟が語る輪島塗の未来
堅牢(けんろう)優美-。そう称される輪島塗の重厚感は、幾層にも積み重なる分業のなせる業だ。 【写真】能登の夜の海を連想させる黒と青のグラデーション。バイデン米大統領夫妻に贈呈された田谷漆器店のコーヒーカップ 形を作る木地(きじ)、漆を塗るきゅう漆、文様を施す加飾。それぞれの工程で職人の手が加わり、できあがった漆器を各地に届ける行商人は、塗師(ぬし)屋と呼ばれる。 「地震で全部壊れて、壊れたからこそ、どんどん新しいことができる」 石川県輪島市で200年以上続く「田谷(たや)漆器店」の塗師屋、田谷昂大(たかひろ)さん(33)は苦難の1年も、そんなふうに前向きにとらえている。現在の事務所はトレーラーハウス。仮住まいの感もあるが、どこにでも行ける機動性は強みだ。 令和6年元日、音を立てて崩れ始めた実家から、靴下のまま家族全員で逃げ出した。大津波警報が発令され、そのまま高台に駆けた。工場や事務所は全壊。完成間際だった輪島塗のギャラリーは朝市の大火で焼け落ちた。足場だけの残骸を前に涙が止まらなかった。 だが命は助かった。3日には再起への第一声を交流サイト(SNS)にアップした。《どんな事が起きようとも、全員で復興を遂げ、必ず輪島塗メーカーとして再スタートします》 対外的に発信したのは「気持ちを切り替えられないと思ったから。やると言えば、やるしかなくなるので」。クラウドファンディングでの資金集め、がれきの下からの漆器の回収、メディアでのアピール…。〝見切り発車〟の宣言を忠実に守り、できることを一つずつ実行に移した。 輪島塗は家業だが、その懐の深さに触れたのは東京都内の大学に進み故郷を離れていたときのこと。みそ汁を飲んで、ふと感じた。「違う」。輪島塗の椀(わん)に替えて、違和感の理由が分かった。 器の唇に触れる部分を口縁(こうえん)という。塗り重ねられた漆は空気中の水分を取り込みながら固まり、特有の感触を生み出す。その口縁の口当たりが、同じみそ汁を違う料理に仕立てあげていた。「すごいな」。改めて思った。迷いなく帰郷し、家業に入った。 能登半島地震の前から、輪島塗を取り巻く環境は厳しさを増していた。ピークは1960~90年代。平成3年の生産額約180億円をピークに、以降は減少の一途をたどり、地震前年の令和5年は20億円まで縮んでいた。