【プロ1年目物語】木田勇 入団交渉時に土地要求のドラ1新人、圧巻22勝でタイトル総なめ!/第1回
獅子奮迅の大活躍
後期もその勢いは衰えず、悲願の初優勝を目指す日本ハムは木田をフル回転させる。7月29日南海戦、8月3日近鉄戦、8月8日西武戦と3試合連続完投勝利。8月12日と13日の阪急戦では2試合連続でリリーフとしてマウンドに上がり、再び先発として15勝目を挙げた8月17日近鉄戦、23日阪急戦、27日西武戦、9月2日近鉄戦と4試合連続の完投勝利だ。社会人時代からプロでの中4日先発を想定してトレーニングを積んだ木田も、さすがに疲労の色は隠せず夏場から失点が増えていく。9月7日の西武戦で2回5失点KOを喫すると防御率も2点台に。9日のロッテ戦ではサヨナラ押し出しでプロ初の連敗。一発を浴びることも多くなっていたが、すでに大沢采配は「木田と心中」という起用法で、痩身のルーキー左腕は後期Vを目指して、ひたすら投げ続けた。 まさに獅子奮迅の大活躍に、球団側も疲労を考え木田だけ登板前夜にホテルに泊まらせるなど最大限バックアップする。観客動員に悩むパ・リーグ球団にとって、後楽園に登場すると「木田コール」が起こるニューヒーローの存在は、営業面でも救世主だった。日本ハムの影井武志広報担当も「6000万円の契約金も、もうとっくに元が取れましたよ」とホクホク顔だ。 「うちの今年の観客動員数は、去年より15%ほどふえて150万人くらいになる見込みですが、その一割は木田が集めてくれたと思っています。『木田登板』を予告した日は、とくに客足がよかったですしね」(週刊文春1980年10月16日号) そして、9月25日の南海戦、木田は延長11回198球を投げ抜き16奪三振の力投。チームはサヨナラ勝ちで、ついに20勝の大台に到達する。新人投手としては65年の池永正明(西鉄)以来、15年ぶりの快挙だった。30日のロッテ戦ではリリーフで6回途中から3回3分の2を投げきり21勝目。チームも3位から首位へ浮上する。悲願まであと一歩。10月2日の西武戦でもリリーフとして5回無失点に抑え22勝目。10月5日の阪急戦も当然のように2回無失点でセーブを記録。生意気な現代っ子と揶揄された男が、血の小便を垂れ流す思いで懸命に投げた。もはや近代野球の価値観ではありえない酷使ともいえるが、勝ち試合には迷うことなく木田を投入する大沢采配は、優勝が懸かった大一番でも変わらなかった。