【プロ1年目物語】木田勇 入団交渉時に土地要求のドラ1新人、圧巻22勝でタイトル総なめ!/第1回
驚異の新人と一躍時の人に
週べの新人王レース予想でも「本命中の大本命。二ケタ勝利は確実」という高い前評判通りに、1980年4月6日の西武戦、開幕2戦目に後楽園球場で先発マウンドに上がった木田は1失点完投でプロ初勝利。150キロ近いストレートとカーブに加え、プロ入り後に投手コーチの植村義信から教わった魔球パームボールで打者を翻弄した。寮には入らず、後楽園には契約金で買った愛車の赤いフェアレディ280Zで通う異端の新人は、そこから連勝ロードを爆走する。 4月25日のロッテ戦、試合前に食堂でスパゲッティとチャーハンをたいらげ、記者たちから「今日はリリーフ?」と聞かれると、「そりゃそうでしょう。これで先発したら、マウンドでゲーですよ」と欺き、いざ先発すると新人完封勝利一番乗りの快投。ドリフスターズのひげダンスを真似ながら、会見場に現れる現代っ子の姿に、「長嶋(茂雄)みたいなヤツだ。どこかマンガだぜ。声も頭のてっぺんから出てるしな」(現代1980年7月号)と大沢監督も喜んだ。 4月を負けなしの4勝0敗、防御率0.79で終えると、いきなり月間MVPにも選出。5月5日の西武戦でプロ初黒星を喫したが、「5勝0敗なんて信じられないですよ。4勝1敗の方が納得がいく。これでカッコがついた」とうそぶいてみせた。マウンド上での「相手を怒らせ、自分を奮い立たせる」という派手なガッツポーズも話題に。いかにも80年代ぽいネアカな若者が、パ・リーグの猛者達を手玉にとる。そんな分かりやすい構図に、マスコミも飛びついた。 当時の球界は圧縮バットに反発力の強い飛ぶボールが使用される投手受難の時代(80年シーズンは近鉄、西武、阪急がチーム本塁打200以上)だったが、木田はその後もリーグでひとりだけ1点台の防御率をキープ。開幕からの10先発の内、9完投(2完封)と凄まじい投げっぷりで、10勝目を記録した6月30日の阪急戦のようにときにリリーフとしてもマウンドに上がった。 6月に26歳となった背番号16は、驚異の新人と一躍時の人に。土地要求の問題児イメージはすっかり忘れ去られ、裏表のない「根っからのスポーツマンスター」と人気を集める。社会人時代と同じように電車に乗ればサインを求める少年ファンに囲まれ、週べ80年5月19日号では「野球の醍醐味を見せる男」と巻頭カラーグラビアを飾った。前・後期制のパ・リーグで、前期だけで二ケタ勝利を挙げる木田の活躍もあり、日本ハムはロッテや近鉄と激しく優勝を争うも僅差の3位。オールスターファン投票でも木田は投手部門1位で選出。第3戦ではなにかと比較された巨人の江川と先発で投げ合い、3回1安打無失点の快投。対する江川も3回7奪三振と新世代のエース対決にファンは沸いた。