ドナルド・トランプの知られざる「敗北と栄光」、若い頃から貫く「戦い方の信条」とは
数十億ドルの負債で破産危機…トランプ「らしい」乗り越え方
以後、トランプ氏はニュージャージー州にトランプ・プラザ・ホテル&カジノを開設、カジノ経営に乗り出すとともに、新興のアメリカンフットボールリーグUSFLのニュージャージー・ジェネラルズのオーナーになるなど多方面に進出するようになります。 トランプ氏はカジノに関してはいくつものホテルを所有していますが、実はトランプ氏自身は酒も飲まなければ、たばこも吸わず、ギャンブルもしないという意外な一面を持っています。お酒に関しては、幼い頃から大酒飲みの祖父の話を聞かされて育ち、実の兄をアルコールで失ったせいもありますが、ギャンブルに関しては、次のように言い切っています。 「私はギャンブルが好きだと思われている。だが私はばくちを打ったことは一度もない。私にとってばくち打ちとは、スロット・マシンをする人間にすぎない。私はスロット・マシンを所有する方を好む」 (『トランプ自伝』p66) トランプ氏はほかにもヘリコプター会社を経営したり、航空会社のトランプ・シャトルを興すなど不動産開発以外の分野に積極的に手を伸ばしますが、1990年代に入ると米国経済が不況に陥り、不動産業界も大不況となります。1990年にオープンしたばかりの巨大カジノ、トランプ・タージマハルも破産しています。ほかにも所有するカジノ2軒が破産申請となり、トランプ・シャトルの経営権も譲渡するなど苦境に陥ります。 数十億ドルとも100億ドル近いとも言われる負債を抱え、街中の物乞いを指さして、「彼は私より金持ちだ」とさえ言っていたほどです。それでも多くの不動産業者が破産に追い込まれる中、トランプ氏は「他の誰もが動きだす前に銀行との交渉を始めよう」と決意します。 多額の借金は「お金を貸した銀行の問題」であり、自分の問題ではないと割り切ったトランプ氏は、「長期の法的な小競り合いを続けるよりは、私にお金を融資すれば良好なビジネスを続けることができる」と金融機関を言いくるめると、あとの細かな交渉は弁護士に任せて、トランプ氏自身は大好きな不動産開発の仕事に没頭したのです。こう振り返っています。 「私に個人破産の圧力が押し寄せてきた。私にとって、また米国の他のすべてにとって、経済が完全に崩壊してしまうことが明らかになってきたのだ。この現実を直視し、できるだけ早くこの苦痛を正面から受け止め、全力を尽くしてこの事態を乗り切ろうと決心した」 (『敗者復活』p29) トランプ氏の「ものごとを軌道に乗せるまでは一生懸命にがんばり、あとは成り行きに任せる」やり方が功を奏し、流れは少しずつ上向き始め、多額の借金は背負っていても、プロジェクトは進むようになり、やがて会社は再び勢いを取り戻します。 再び米国の大手不動産会社に返り咲いたトランプ氏は、『Forbes』で常連だった「長者番付400」から1990年に外れたものの、1996年には再び復帰します。