10代で結婚が唯一の幸せ? インド最貧州のサッカー少女ギタが、日本人指導者と出会い見る夢
サッカーを媒介に世界に触れ、自分の“if story”を思い描くきっかけに
「自分の子どもの頃を考えると、ただサッカーが好きで、サッカーボールを追いかけている先にプロサッカー選手になるという夢があって、残念ながらその夢は叶わなかったけど、その道の途中で多くを学んで、大学進学だったり就職につながっていったという思いがあります。ブッダガヤの子どもたちにもサッカーを通じて、自分たちの知らない世界、認識していなかった権利、新しい価値観や自分の可能性に目を向けてもらえたらと思ったんです」 高校時代の萩原は大分トリニータのユースチームに所属し、未来のJリーガーを夢見ていた。トップチーム昇格はならず3歳のときに初めてボールを蹴ってからの夢が叶うことはなかったが、進学した立命館大学ではサッカー部に所属しながら難民支援などの社会貢献活動にも参加した。卒業後は、トヨタ自動車に就職し充実した日々を過ごしていたが、「サッカーで学んだ大切なこと」を生かせる道を模索し、NGOの活動に参加、インドに赴任し、ギタやブッダガヤの子どもたちに出会うことになる。 FC Nonoを立ち上げて3年、萩原自身が驚くほどのスピードでブッダガヤの子どもたちの眼差しは変わっていった。 家事の手伝いをするために家から離れられず、男性、ましてや外国人である萩原を遠巻きに見るだけだったギタは、男の子たちに交じってサッカーボールを追うようになって本来持っていたであろう積極的な性格が前面に出るようになった。 初期メンバーとして女子の中では一番のキャリアを持つギタは、サッカーの技術が向上するにつれ、女の子の中でリーダーシップをとるようになり、新しく加わった子どもたちに自らサッカーを教えるようになったのだ。
サッカーを通じて人権、ジェンダー、環境問題、リーダーシップを学ぶ?
FC Nonoは、単にサッカーを教えるスクールではなく、サッカーを通じて、まずはブッダガヤに「努力が報われる社会」を実現したいということをビジョンに掲げている。 「サッカーだけではなく、提携している都市部のNGOから女性コーチを派遣してもらって、人権、ジェンダー平等教育、リーダーシップ研修など学校では教えてくれないことを学ぶ機会も提供しているんです。またJICAやヤクルトと共同で食育や栄養指導、保健衛生指導も実施しています。専任のコーチ1人の他に、サッカーのスキルを教えてくれるコーチと、ライフスキルについての講義をしてくれるコーチの3人体制でスクールを行っているのですが、面白いのは子どもたちが心待ちにするのはサッカーのスキル練習なのに、印象に残ったことや感想をレポートしてもらったり聞いたりすると、人権、ジェンダーや環境問題、リーダシップに対するものがほとんどなんですね」 ボールを蹴るのが楽しい! だから毎日通いたい! 素朴な動機で始まった子どもたちの行動が、それまで見えていなかった世界に触れ合うきっかけになり、将来の「もしも」、自らの“if story”の選択肢を広げる可能性を生んだ。 「別に『貧困から抜け出すためにプロサッカー選手になろう!』というスクールではないんです。将来的にそういう選手が出てきてくれたらもちろんうれしいですが、自分が努力したことが報われる、例えばギタなら、お姉さんたちと同じように、結婚することだけが人生の選択肢で親孝行でもあるという限定的な幸せの価値観ではなくて、もっといろんな可能性があること、自分にできることがあるという自信を持ってもらいたいという思いのほうが強いんです」 萩原が活動のベンチマークにしているアメリカ人の社会活動家のNGO(Yuwa)がビハールの下のジャールカンド州で運営するスクールでは、サッカーを教えつつ子どもたちの教育にも注力し、すでに国内の有名大学はもちろん、ハーバード大学など世界的な有名大学への進学者も輩出している。 そこで子どもたちの指導に当たっているのは先輩でもあるガールズコーチたち。女の子がスポーツをすること、ましてやサッカーをすることに懐疑的な目を向けられることも少なくないインドで、女の子が女の子にサッカーを教えるというのはそれだけでエポックメイキングな出来事だ。 「この光景をギタにもどうしても見せたくて」 萩原はFC Nonoの選手たちを伴って定期的にこのスクールを訪れている。最初の訪問では、その規模に驚いていたギタだったが、同じ年頃の女の子がサッカーを教えている姿に大きな刺激を受けた様子だった。 同じような環境で育った子たちが、堂々とリーダーシップを発揮している。しかもこのスクールではピッチの公用語は英語という徹底ぶりだ。 身近なロールモデルを得たギタの行動は翌日からはっきりと変わったという。