大阪万博を照らした原子力の灯。「親であり、わが子」だった原発は日本を支え、事故で否定された 「操縦士」が語る激動の半生、2025年の来場者に伝えたい言葉とは
美浜1号機の送電開始から55年となる2025年、大阪市の人工島・夢洲(ゆめしま)で再び万博が開かれる。会期中の二酸化炭素排出量ゼロを目指すため、原子力のエネルギーも活用する計画だ。稲田さんは言い切る。「役割や立場が変わったっていい」。そしてこう続けた。「時代は変わる。55年前は、原子力が地球温暖化対策を支えるとは想像もしなかった。どんな形であれ、貢献できるのは喜ばしいことや」。アップデートされた二度目の大阪万博は原則、完全予約制。「今度こそゆっくりパビリオンを見たい」と楽しみにしている。 稲田さんには一つだけ、関西の消費者、そして万博来場者に伝えたいことがあるという。それは「電気は空気ではない」ということだ。何もしなくてもそこにある空気とは違い、コンセントのはるか向こうには、重いまぶたをこすりながら必死に電力をつないでいる人がいる。名前も顔も見えないけれど、「ご苦労さん」という一言を心の中でかけてやってほしいと願う。「汗を流している人が今も美浜にいる。一隅を照らす人たちがいるということを、どうか分かってほしい」
取材を終えた頃、空はあかね色に染まっていた。外でたたずんでいると、稲田さんがオリーブの塩漬けとレモンを3個持たせてくれた。収穫しても販売はせず、家族や親しい友人に贈るという。その中には、東海村で一緒に研修に励んだ他の電力会社の「操縦士」もいるそうだ。研修後はそれぞれの会社が持つ原発に散っていったが、その後も縁が続いている。 土庄港までの車中、稲田さんは照りつける西日に目を細めながらつぶやいた。「原発はわしの人生やな。人生ってもんは振り回されてなんぼや」。私が「楽しかったですか」と問うと、はにかみながらうなずいた。「昭和、平成、令和。食べるものもないときから、よう頑張ってきたなあ」 稲田さんの人生の景色には、いつも海がある。波が高く荒れた日も、静かな「なぎ」の日もあった。この日の瀬戸内海は穏やかに澄んでいて、少し丸まった稲田さんの肩を抱いているように見えた。