メタボリズム建築って個性的すぎる!レジェンド建築家・黒川紀章の記憶に残る代表作5選
いわずと知れた日本を代表する建築家の一人、黒川紀章氏。26歳のとき、新陳代謝を意味する「メタボリズム」を掲げて建築の理念運動を始め、建築界に旋風を巻き起こしました。その後も共生、循環(リサイクル)、生態系(エコロジー)などのキーワードを核に、「生命の原理」と向き合い続けた黒川氏。代表作の数々を巡れば、彼が問いかけ続けた現代そして未来へのメッセージが見えてきます。 【写真集】黒川紀章の斬新な代表作をチェック!
建築家・黒川紀章ってどんな人?
1934年愛知県に生まれた黒川紀章。京都大学建築学科を卒業後、東京大学大学院に進むと、日本の近代建築の祖ともいうべき丹下健三研究室に入り、指導を受けます。 黒川の名が世界に知られるきっかけとなったのが26歳の時、菊竹清訓らとともに提唱した「メタボリズム」という建築理念でした。その後、黒川紀章建築都市設計事務所を設立すると、中銀カプセルタワービル、名古屋市美術館をはじめ、ヴァンゴッホ美術館新館(オランダ)、クアラルンプール新国際空港(マレーシア)など国境を超えて多くの名建築を生み出しました。 「機械の時代から生命の時代へ」を宣言し、その思想を建築へと投影し続けた黒川。73歳で生涯を閉じるまでに遺した名建築の数々には、彼が願い続けた人の営みのあるべき姿が宿っているようです。
中銀カプセルタワービル/東京都・銀座
黒川が掲げた「メタボリズム」の思想を象徴する建築の1つ。新陳代謝する建築をめざして1972年、東京・銀座に竣工したこの建物は、人が生活できる最小限の機能を詰め込んだ約10m四方のカプセル、140個で構成された集合住宅でした。カプセルを交換することで200年にわたってビルを維持できるというコンセプトで建てられましたが、実際は、カプセルは一度も交換されることなく、2022年に老朽化を理由にビルは解体。取り壊されるその様子も話題となりました。 ビルの解体後、140個のカプセルの内、状態の良かった23個は「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」によって救出され、保存再生のプロジェクトが進行。和歌山県立近代美術館や米国のサンフランシスコ近代美術館に収蔵されています。 また2023年には、ビルがあった銀座にカプセル1基が帰還。商業施設「GINZA SIX」にアートとして展示され話題を呼びました。