定年退職して自由を選んだはずの薄井シンシアさん、ミドル世代のキャリア支援のプロ・紫乃ママにこぼした「今がつまらない」
赤坂のビルの一角に昼から看板を出すスナック「ひきだし」。老若男女を人懐っこい笑顔で迎えるのは、“紫乃ママ”こと木下紫乃さんだ。人材育成会社の経営者で、ミドル世代のキャリア支援のプロでもある。そんな紫乃ママと薄井シンシアさんがスナックで対談することに。シンシアさんは、SNSで知り合ってから紫乃ママに「ずっと会いたかった」という。17年の専業主婦を経てキャリアを再構築し、2か月前に外資系IT企業を定年退職、自由を選んだはずのシンシアさんがスナックでこぼした言葉は「つまらない」。対談では「ミドル世代が手放すもの、選ぶもの」をテーマに、2人の率直なやりとりをお届けする。初回は、「どこに出しても恥ずかしい人生」と話す紫乃ママの半生から。 【写真】自分のスナックに立つ木下紫乃さんと薄井シンシアさん。熱心に語る2人の姿なども
紫乃ママ「貧乏だからバカだと思われたくなくて、いい大学へ」
紫乃ママ:私の親は関西で商売をしていましたが、高校生の時、父のギャンブル依存が原因で家族がバラバラになり、私だけ地元に残って親戚の家に住むことになりました。進学先は誰も私を知らない場所へ行きたかったので東京へ。「貧乏だからバカなんだね」と思われたくなかったので、いい大学を目指したけれど、理系がまったくできなかったから国立は無理。見栄えはいいけど、学費が安かった慶応に合格しました。でも目的がなかったので、入ったところで燃え尽きました。 就職は、知人の誘いで、なんとなくリクルートへ。会う人、会う人がおもしろかったんです。でも、働きすぎてしんどくなって、27歳ぐらいで結婚して退職しました。ただ、家にいても暇なので、知人の紹介で小さな会社を3社ほど転々として、その間に離婚をしました。子どもはいません。 その後、しばらくして、大学時代に付き合っていた人との縁が復活。彼はドイツ赴任が決まっていたので、ついていくことに決めました。ドイツ生活はとても楽しかった。ドイツ語の語学学校でさまざまな国の人と知り合い、彼女たちから「自分の意見を言うことの大事さ」を学びました。ただ、子どもがいなかったし、仕事も無かったから時間を持て余して、旦那とうまくいかなくなり、一人で帰国しました。やることのない人生はつまらなかったのだと思います。