定年退職して自由を選んだはずの薄井シンシアさん、ミドル世代のキャリア支援のプロ・紫乃ママにこぼした「今がつまらない」
紫乃ママ「エージェントに『本当に取っ散らかった人生』と言われた」
紫乃ママ:後先考えずに帰国したものの、無職では家も借りられません。友達の家に転がり込み、知人のつてで小さい会社の『なんでも屋』を始めました。でも、そこに長くはいられなかったので、履歴書を書いて就職活動を始めました。エージェントから「本当に取っ散らかった人生ね。会社に推せるキャリアの軸が何もない」と言われました。でも、「あなたの強みは『どこに行っても、素早く学んで始められるクイックラーナー』。これで行きましょう」と会社を2つ紹介してくれたので、そのうちの一つになんとか入りました。 すごく興味がある仕事ではなかったけれど、大企業向けに様々な研修をプロデュースする会社で、働いてみるとすごく面白かった。私にしては珍しく10年近く続いたけれど、飽きっぽい性格もあって、会社に籍を置いたまま大学院に入りました。仕事に行き詰まりを感じたのと、人材育成の仕事を違う角度から見たかったんです。若い子と学ぶうちに「会社員じゃない人生もありだな」と感じて、そのまま会社を退職。その少し前に3回目の結婚もしました。 会社員に戻らなかった理由の一つは会社員に飽きたから。5社も転職して、「先が見えた」と思ったのかもしれません。もう一つは10年ほど大企業の人材育成を支援する中で、人生を主体的に生きている人が少ないな、あきらめてる人が多いな、もったいないな、自分が何かできないかな、と思ったからです。
紫乃ママ、「中高年がイキイキ出来る『箱』をつくった」
紫乃ママ:初めは大学院を出たら、若い人のリーダーシッププログラムを作れたらいいなと思っていました。でも、大学院時代に若い学生たちが「大人になるのは嫌。40代の人たちってつまらなさそうに見える」「紫乃さんみたいに適当にやってて楽しそうな40代を初めて見たわ」と話していたことや、彼らの面白い挑戦を、親世代がブロックしているのを目の当たりにして、「若い人たちにできることは何もない。できるのは、私たちの世代が変化することだ」と考え直して、中高年が自分らしくイキイキと生きるための「何か」をやることにしました。 でも、「ミドル世代向けに人生を考え直すセミナーを開きます」と宣伝しても、誰も来ない。「そんなお金を自分に払うぐらいなら子どもの教育費に使う」「今さらそんなのを学んでも、しょうがない」という反応が返ってきました。そこで初めて「私は勘違いをしていたかもしれない。私が対峙したい人の声をもっと聴かなきゃ」と思うようになりました。 とはいえ、街頭インタビューをするわけにはいきません。私達の世代は飲み会になると話が盛り上がるので、飲み会も考えたけれど、毎回、開くのは自分がしんどい。そこで思いついたのが「スナック」でした。 友達のスナックを月2回ほど借りてスタートしたら、大勢のお客さんが集まってくれて、勝手に悩みや、やりたいことを話し出しました。これってすごいことだなと思ってしばらく続けました。 私は夜が弱いので、昼間に店を開けたら、平日の昼間でも「誰かと話したい」「話しを聞いてほしい」という人が結構いました。「私もママをやってみたい」という人が沢山いたのも発見でした。借りていた店が休むことになったので、そのタイミングで自分の店を開きました。私がカウンターに立つのは木曜の昼間だけです。「コミュニティの場に使いたい」という30人ほどにお店を使ってもらって、私は企業で中高年向けのキャリア研修をしたりしています。