定年退職して自由を選んだはずの薄井シンシアさん、ミドル世代のキャリア支援のプロ・紫乃ママにこぼした「今がつまらない」
紫乃ママ「私は逃げの人生」、シンシアさん「私は絶対に逃げない」
シンシアさん:そんな研修に企業がお金を払ってくれるんですか? 紫乃ママ:そうなんです。そういう企業が増えているんです。 シンシアさん:やっぱり、私は紫乃ママと組んだほうがいいね。 紫乃ママ:実際に働き続ける女性は増えているし、男女とも独身が増えている。身を粉にして働いてきた人ほど、定年近くなっても、地域とのつながりや会社以外のつながり無いから、本当に孤独。言い方は悪いけれど、みんな会社にぶら下がろうとする。会社はやる気が無いまま働く人が増えると困るので「この先をしっかり考えてほしい」と研修を依頼してきます。 シンシアさん:私はやりたいことがないので、ある意味、紫乃ママがすごく羨ましい。 紫乃ママ:私もですよ。消去法しかなかったし、スナックだって別にすごくやりたくて始めたわけじゃない。 シンシアさん:でも、自分から取りに行くんですよね? スナックも自分でつくった。 紫乃ママ:それは私にとって、少し大きな出来事でしたね。ただ結婚も、会社も逃げたりやめたりしているから、私は「逃げ」の人生なんです。 シンシアさん:私は絶対に逃げない。逃げないけど、自分から取りにも行かない。目の前にあるものを徹底的にやって結果を出す。 紫乃ママ:私はそういう人に憧れます。徹底的にやりきれば、次が見えるでしょう? シンシアさん:見えないけど、次が勝手に来る。でも、自分で取りに行く欲はありません。
シンシアさん「いま、すごく忙しいのに、つまらない」
紫乃ママ:自覚は無いけれど、もし私が「取りにいっている」とすれば、向こうから来ないから取りに行く。私は転職や次の仕事を選ぶときは「何でもいい。私を使ってくれる人が役割を決めてくれたらいい」と、いい加減な気持ちになります。ただ、ぼんやりしている時間がもったいないから「どこかで私を使って」と取りに行く。でも、その方法は、周りに「なんか仕事ない?」って聞いてみるとか、すごくしょぼい。 シンシアさん:私が自分から取りに行ったのは、日本に帰国した時の時給1300円のパートとスーパーのレジ打ち。ほかに自分で応募したのは現在のIT会社だけです。 紫乃ママ:力があるから、シンシアさんを見つけちゃう人がいるんでしょうね。 シンシアさん:だから、向こうから来るものがすべてつまらない時に困る。 紫乃ママ:そんなこと、ありましたか? シンシアさん:今が、そう。すごく忙しいのに、つまらない。努力せずにできることだったら、私自身が成長できない。 紫乃ママ:ストレッチが欲しい? シンシアさん:すごく欲しい。でも 65歳だから自分にブレーキをかけています。 ◆薄井シンシアさん 1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社。65歳からはGIVEのフェーズに。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。 ◆木下紫乃さん 和歌山県出身。慶應義塾大学卒業後、リクルート入社。数社の転職を経て、45歳で大学院に入学。2016年に中高年のキャリアデザイン支援の人材育成会社「ヒキダシ」を設立。2017年、東京・麻布十番に週1回営業する「スナックひきだし」を開店し、2020年に赤坂へ移転。スナックのママとして、のべ3000人以上の人生相談を聞く傍ら、55歳で社会福祉士の資格を取得。現在は毎週木曜日14時~18時に在店。離婚2回、家出2回、再婚3回。キャッチフレーズは「どこに出しても恥ずかしい人生」。近著に『昼スナックママが教える 45歳からの「やりたくないこと」をやめる勇気』(日経BP)。 撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ