「グズ」呼ばわりする高慢な母のせいで介護うつに…それでも最期に見せた「感謝の言葉」に私が救われたワケ
最期を支える覚悟
俳優で心理カウンセラーの大場久美子さんは、8年前に父を失った。亡くなるその瞬間まで父のケアをするなかで「自宅で最期を迎えること」の意味を認識するようになったという。 「生前、父とは関係が良かったわけではないんです。長い間がんを患っていた割に元気に過ごしていた父ですが、実は不安を抱えていると知って、うちに来るか聞いてみたところ『行きたい』と返ってきました。かかりつけの病院に行くのも、うちからの方が都合良かったですし、なによりも夫の理解があったので、急遽迎え入れる事になりました。 父は最後まで知らなかったのですが、私が主治医から父の余命が3ヵ月だと聞いていたことも、最期の人生をささえる事を決心した理由です。父は、病院でただ最期の時を迎えるのはいやだ、と話してましたから」 父の最期の時間を一緒に過ごすと決めたときから、必要なモノを揃える作業が始まったが、それ自体は大変なことではなかった、と振り返る。 「大人用のおむつなどの介護用品は3日もあれば揃えられたし、父が介護保険や国の制度を全部調べていて、担当のケアマネさんもすでにいらっしゃったので、苦労はありませんでした。父はできるだけ、家族に負担を掛けたくないと思っていたんでしょうね」
父のベッドで添い寝して
ともに過ごした期間は約3ヵ月。食べたいものを食べてもらい、好きな演歌を聞かせるなど、病院とは違う心地よさを感じてもらうようにしたという。 「私が面倒を見ると決めたからには、とことん毎日を楽しんでもらおうと思ったんです。亡くなる直前はほぼ寝たきりで自分では何もできなくなったんですが、体を起こしてベッドの手すりにつかまりながらも、演歌の番組を観ていました」 最後の3日間は、シングルベッドで父に添い寝をして過ごした。 「父はしゃべれなくなる直前にひと言、『ありがとう。いろいろと申し訳なかった』と私に言ってくれました。 父は不自由ながらもできること、やりたいことをできたんじゃないかと思います。きっと、もう少し長く生きたかっただろうとは思いますが」 大場さんは、現在のところは大きな病気を患ったとしても、積極的な治療はせず、残された時間は好きなことをして過ごすと、人生の終わり方を決めているという。 「まだ最期の場所は決めていませんが……やっぱり自宅がいいかな。この前、主人に確認したんです。『私、自宅で逝ってもいい?』って。そうしたら『いいよ』って言ってくれたので。父の看取りを通じて、やっぱり自分が慣れ親しんだ環境で最期を迎えたいかな、と思うようになりました」