「気持ちには引力がある」指導キャリア25年目のルーキー監督・森山佳郎の情熱に選手もサポーターも引き込まれ、仙台は一丸となって戦い抜いた
「J1に上がるまでの力は足りていなかった」
あと一歩だった。 12月7日に行なわれたJ1昇格プレーオフの決勝戦。レギュラーシーズンで6位の仙台は、5位の岡山のホームに乗り込んだ。岡山より順位が下の仙台は、勝利のみがJ1昇格への条件。岡山サポーターが大挙したシティライトスタジアムで、4年ぶりとなるトップカテゴリーを目ざす戦いに臨んだ。 【画像】惜しみない声援と拍手で選手を鼓舞!岡山に駆け付け、大声援でチームを後押ししたベガルタ仙台サポーター!(Part1) しかし――。結果は0-2の敗戦。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、歓喜に沸く岡山イレブンをピッチサイドで見つめるひとりの男がいた。仙台の森山佳郎監督だ。 しばらくその場から動けず、悔しさを噛み締めるように視線を送る。片渕浩一郎ヘッドコーチが駆け寄ると、促されるようにベンチへ戻った。 記者会見の場に姿を見せた指揮官は、こんな言葉で振り返った。 「一言で総括すると、J1に上がる力がまだまだ足りなかった。もっと前のところから言えば、去年はJ2の16位。特に後半戦は22チーム中21位という成績でした。どんどん落ちていった昨シーズンの中で、今年をスタートさせた。去年は頑張れなかったから今年はやろうということで、みんなが(就任1年目の自分に)乗っかってきてくれたんです。 なんとか6位に入ってギリギリでプレーオフに滑り込むところまでは計画通りだった。J1昇格を目標と言ってきたけど、(現実的には)辿り着けるのはプレーオフ。1戦目は本当に爆発力で長崎に勝てたけど、やっぱりJ1に上がるまでの力は足りていなかった。J1に上がってもおそらくまだ力がないなかで、そのまま上がっても厳しかったと思う。もう1回しっかり自力をつけて、今度昇格した時はJ1で登っていけるようなチームをもう1回作っていきたい」 森山監督にとっては新たな挑戦だった。 現役時代は広島や横浜Fなどに席を置き、94年にはファルカン監督が率いる日本代表でもプレーした。平塚に所属していた99年に引退し、翌シーズンからは古巣の広島で指導者のキャリアをスタート。ユースチームでコーチとなり、02年8月からは監督として多くの選手を育ててきた。 日本代表でも活躍した槙野智章、柏木陽介らをプロの世界に送り出し、チームとしても10年から12年にかけてU-18高円宮杯(10年は前身の全日本ユース、11年と12年は現行のU-18プレミアリーグ)で優勝。13年からは世代別代表の指導に携わり、15年にU-17ワールドカップを目ざすチームの指揮官を託された。 2年に一度開催される世界大会には、17年から3大会連続で出場(21年は新型コロナウイルスの影響で大会中止)。いずれもベスト16に導き、久保建英、中村敬斗、鈴木彩艶らをA代表へと導いた。 育成年代での実績は十分。そんな指揮官が23年のU-17ワールドカップを最後に退き、今季から新たなスタートを切った。新天地は杜の都・仙台。指導者キャリア25年目にして、初めてプロのチームで監督を務めることになった。 就任当初は苦難の連続。前年下位に沈んだチームを立て直すべく、沖縄でキャンプを張った際に、森山監督は「ここから鍛えないと大変」と話していた。まさに自身もチームも一からのスタート。戦術理解度も戦う姿勢も含め、全てを再構築する必要性を感じた。
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