今日E-1選手権開幕!宮市亮が語る9年9か月ぶり代表復帰への思い…10代の欧州挑戦、引退危機の膝手術を乗り越えて「自分のためよりチームのために何ができるか」
男女それぞれ4チームが東アジアの頂点を競うEAFF E-1サッカー選手権が今日19日に開幕。森保ジャパンは茨城県立カシマサッカースタジアムで香港代表と対戦する。開幕前日の18日には9年9ヵ月ぶりに招集されたFW宮市亮(29、横浜F・マリノス)がオンラインでメディアに対応。3度も負傷した左右のひざの前十字じん帯を含めて、約10年半におよんだヨーロッパでのプレーで負った怪我の連鎖を乗り越えて、日本代表復帰を果たした胸中を語った。
18歳で名門アーセナル移籍も
パソコンの画面越しに見せた宮市の表情は、約15分間の質疑応答を通じてほとんど変わらなかった。抑揚が抑えられた声のトーンが、乗り越えてきた試練の深刻さをかえって浮き彫りにする。代表に抱いてきた思いの丈が言葉に変換され続けた。 香港との初戦へ向けた合宿がスタートして2日目の18日。オンライン対応に臨んだ宮市は、代表が発表された13日に残した第一声を噛みしめるように繰り返した。 「身が引き締まる思いですし、選出されたときにも『嬉しさとともに責任も感じる』という話をしましたけど、いまはそれがさらに高まってきています」 19歳だった2012年5月のアゼルバイジャン代表との国際親善試合で、後半17分からMF香川真司に代わって静岡・エコパスタジアムのピッチに立った。 大きな期待を背負ってA代表デビューを果たした当時は、中京大中京高からプレミアリーグの名門アーセナルへ移籍。その上でオランダのフェイエノールト、プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズへの期限付き移籍を終えようとしていた。 しかし、特にボルトンで思ったような結果を残せていなかった自分自身を、宮市は「あまり幸せに思えていなかった」と意外な言葉とともに振り返った。 「日本代表というよりも、18歳で移籍したアーセナルでトップに上り詰めたいという思いが当時はありました。自分が代表に入っても、アーセナルの周りの選手は各国代表のエース格ばかりで、いま振り返ると焦りもあった10代だったと思っています」 代表での出場試合数はデビューから約5ヵ月後の2012年10月、ポーランドで行われたブラジル代表との国際親善試合を最後に「2」のまま途切れてしまった。 当時の所属は2012-13シーズンから期限付き移籍したプレミアリーグのウィガン。しかし、ウィガン時代から、1年間だけアーセナルでプレーした2013-14シーズン、オランダのトゥエンテへ期限付き移籍した2014-15シーズンと怪我の連鎖に苦しめられた。 アーセナルとの契約を解除された2015-16シーズンには、ドイツ2部のザンクトパウリへ移籍。しかし、加入直後の親善試合で左ひざの前十字じん帯を断裂し、2017年6月の紅白戦では反対側の右ひざ前十字じん帯を断裂した。 左右の前十字じん帯を損傷するのは、ヨーロッパにわたってから2度目。このとき、ドイツ人の医師から告げられた言葉が、自身を内側から変えたと宮市は振り返る。