おもちゃではありません 世界の奇妙なマイクロカー 37選 前編
ブルッシュV2(1956年)
こちらのブルッシュV2はわずか12台しか生産されておらず、モペッタよりもさらに珍しい存在だ。4本のタイヤと2人分の座席が完備され、98ccのエンジンを搭載している。最高速度は約64km/hであった。
ドルニエ・デルタ(1956年)
ドルニエは巨大飛行艇や爆撃機などで知られるドイツの航空機メーカーだが、第二次大戦後には糊口をしのぐため、自動車生産に乗り出した。その成果がこのデルタだが、量産に入る前から採算が合わないことは明らかであったため、プロジェクトは他社に売却されてしまう。 興味深いことに、同社は現在、医療機器メーカーのドルニエ・メドテックとして存続しており、デルタという名称の製品を販売している。ただし、クルマでも飛行艇でもなく、腎臓結石治療用の機器である。
ツェンダップ・ヤヌス(1957年)
ドルニエがデルタのプロジェクトを売却した相手は、ドイツの二輪メーカーであるツェンダップだった。車名はヤヌスに改められ、ミドマウントの2ストローク245cc単気筒エンジンを搭載している。1年で約7000台が生産された。
ベスパ400(1957年)
マイクロカーに熱心だった二輪メーカーはツェンダップだけではない。ベスパも同じビジネスに手を染めた1社だ。ベスパ400は393ccの2気筒空冷エンジンを搭載し、1957年から1961年まで生産された。
フリスキー(1957年)
フリスキー(Frisky)は英語で「陽気」、「快活」といった意味があり、この名前だけでも同車が欲しくなる。ヘンリー・メドウズ氏によって英国ウォルヴァーハンプトンで産声をあげ、フリスキー・スポーツ、クーペ、ファミリー・スリーなど、さまざまなバリエーションが販売された。1気筒または2気筒の2ストロークエンジンが搭載され、1958年から1961年まで生産された。
BMWイセッタ(1955年)
イセッタは各地でライセンス生産が盛んに行われた。発売から1年も経たないうちに、フランスのVELAM社がライセンス生産を開始したほか、スペインではアウトカーロ(Autocarro)と呼ばれる商用車仕様も登場した。また、ブラジルではローミ社が、そしてドイツと英国ではBMWが生産権を取得した。BMWのイセッタは1955年から1962年までの間に16万台以上が生産されており、マイクロカーとしては異例の規模を誇る。