おもちゃではありません 世界の奇妙なマイクロカー 37選 前編
トロージャン200(1960年)
トロージャンは第一次世界大戦直後に自動車生産を開始したが、この200を最後に、1965年に工場が閉鎖された。200は1960年代を代表するバブルカーの1台で、ドイツの元航空機メーカーであるハインケル社によって1950年代半ばに開発され、当初はカビーネ(Kabine)という名で販売されていた。 この特集で取り上げた他のいくつかの企業と同様、ハインケル社も第二次世界大戦後は軍用機生産を禁止され、平和的な事業への転換を迫られた。同社はマイクロカーだけでなく、自転車やスクーターの生産も手掛けた。
バークレーB95(1959年)
すべてのマイクロカーが経済性ばかりを追求したわけではなく、中には運転の楽しさを目指すものもあった。英国のトレーラーハウス製造業者であるバークレーは、ローリー・ボンド氏(ボンド・カーズ社)と提携し、2気筒または3気筒の空冷2ストロークエンジンを搭載した三輪および四輪のマイクロカーを開発した。代表的なモデルが692ccエンジン搭載のB95だ。SA322、SE328、SE492といったモデルも販売され、これらの車名の数字はそれぞれエンジンの排気量を表している。
ボンド・ミニカー(1949~66年)
ローリー・ボンド氏は、ミニカー(Minicar)と銘打った一連の小型車を手掛けた人物だ。最初のモデルは1949年に登場し、1966年まで生産された。いずれのモデルも、フロント一輪に単気筒空冷エンジンを搭載している。初期の排気量はわずか122ccだったが、最終的に249ccまで拡大され、100km/h近い高速走行が可能となった。
JARCリトルホース(1953年)
マイクロカーの世界は複雑怪奇で、販売元や生産者がころころ替わっている。英国のJARCはリトルホースというモデルを開発したが、1954年にアストラ社に売却する。その後、ギル社からゲッタバウト(Getabout)として、さらにオーストラリアのライトバーン社からゼータ(Zeta)として生産されていた。生産は1966年まで続いた。