「女性だからと言って特別扱いしない」。虎に翼のモデル「三淵嘉子」心に残る裁判長の一言
すでに同年4月に、日本における女性初の判事補として、石渡満子が東京地方裁判所に赴任しており、嘉子はそのあとに続いたことになる。ちなみに、同じタイミングで門上千恵子が東京地方検察庁検事に任官。日本における初めての女性検事も誕生した。 この昭和24(1949)年以降、毎年のように1~2名の女性裁判官が任命されることになり、東京のみならず、地方の裁判所にも女性が配置されるようになる。 だが、裁判官の人数自体が少ない地方では、必ずしも女性裁判官は歓迎されなかった。そこには「男性側のいたわり」があるということに嘉子は気づく。
具体的には、残忍な殺人事件や、強姦事件を女性裁判官には担当させづらく、やはり女性裁判官は男性裁判官と同じようには扱えないという雰囲気があったという。 これは何も裁判官の仕事に限らず、弁護士や検察官であっても同様だとし、嘉子は「私の歩んだ裁判官の道」で、次のように分析している。 「女性が職場において十分に活躍できない原因の一つに男性側の女性への優しいいたわりから来る特別扱いがある。裁判官のみならず検察官、弁護士の場合でも女性に対しては初期の頃は男性側が必要以上にいたわりの心遣いをし、それが女性法曹を扱いづらいと思わせていたのではなかろうか」
そんな状況だっただけに、嘉子が東京地裁の裁判官になったときに、裁判長の近藤莞爾からかけられた「あなたが女だからといって特別扱いはしない」という言葉が心に残った。嘉子は小林のことを「私の裁判官生活を通して最も尊敬した裁判官であった」と振り返っている。 ■日本で初めての女性判事となる それから3年後の昭和27(1952)年4月1日、嘉子は名古屋地方裁判所の判事となる。日本では初めての女性判事の誕生となった。
(つづく) 【参考文献】 三淵嘉子「私の歩んだ裁判官の道─女性法曹の先達として─」『女性法律家─拡大する新時代の活動分野─』(有斐閣) 三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』(三淵嘉子さん追想文集刊行会) 清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社) 神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター) 佐賀千惠美 『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)
青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』 (角川文庫) 真山知幸、親野智可等 『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版
真山 知幸 :著述家