白亜紀末大絶滅はなぜ起きた?(上)-“化石記録”ミステリーの歴史
しかし今では当たり前と映るこの「生物種の絶滅」という概念だが、当時のヨーロッパの人々にとっては受け入れがたい事実だった。後のダーウィンの進化論(1859年に「種の起源」が出版された)が巻き起こした一大論争でもわかるように、当時のヨーロッパの社会において、キリスト教の教義は絶対だ。教会も絶大な権力を持っていた。「創造主である神の創った種が滅びることなどありえない」。キュビエは当時存在したこの盲信を打ち破ることはできなかった。 一般社会からだけではなく当時のヨーロッパの科学者―とくに地質学者と古生物学者―からもキュビエの説く「絶滅のコンセプト」は激しい批判の嵐にさらされた。というのも彼の説く太古の絶滅は、天変地異(脚注3参照)―特に「ノアの洪水」―によって滅んだという仮説にもとづいていた(注:キュビエ自身も実は敬意なクリスチャンであったことが知られている)。当時の最先端をゆくサイエンティストたちにとって、受け入れがたいものだった。(そのため19世紀中後半頃に活躍したダーウィン(近代進化論の祖)やチャールズ・ラィエル(近代地質学の父;ダーウィンに直接強い影響を与えた)など偉大な地質学者・進化論学者達から無視および激しい反論を受け続けた。 キュビエの死後、歳月は流れ、今日にいたる。化石記録におけるデータは年々飛躍的に蓄積し、地質年代における「化石種やグループの絶滅」の、よりはっきりした様相も分かってきた。キュビエの唱えた天変地異説は形を変えつつ、しかし太古の昔に起きた数々の大絶滅は、さまざまな「大きな環境の変化」(注:ノアの洪水は除く)によって起きたとされる考えはほぼ定説となっている。そして現在古生物学上、絶滅研究は例えばマクロ進化や太古環境学などのように最も大きなテーマの一つである。1980年代には「ビッグ・ファイブ大絶滅(脚注4参照)」(五つの最も大きな生物史における絶滅イベント:Image 2参照)というコンセプトまで現れ(Raup & Sepkoski, 1981:脚注5)、絶滅に関する研究は最近ますます活発になってきているようだ。