黒沢清 監督が語る フランスを舞台に、26年の時を経てセルフリメイクで生まれ変わった『蛇の道』
俳優も素材も違う中でも描くのは同じ、人の心の闇
池ノ辺 柴咲コウさんとは今回が初めてですか。 黒沢 全くの初めてです。 池ノ辺 柴咲さんは、「最初は、なんで私なの?と思った」とおっしゃっていたようですが、なぜ柴咲さんにされたんですか。 黒沢 僕はこれまで柴咲さんを映画やドラマでしか知りませんでしたが、顔や声のイメージから直感的に今回の役にいいんじゃないかと思ったんですね。実際のところ、日本人の女性で、この役をやってくれる方がいるだろうかと当初、本当に不安だったんです。フランス語のセリフもあるし、そもそも役が、はっきり言っていい人の役ではないですからね(笑)。ただ、変な言い方ですが、日本の女優で、オリジナルの哀川翔さんの、あの冷たい、人を刺すようなまなざしができるのは、柴咲さんくらいしかいないんじゃないか、そう思って恐る恐る声をかけさせていただいたんです。そしたら「やります」と言ってくれて。 池ノ辺 恐る恐るですか(笑)。 黒沢 いやあ、だって「嫌です」って言われたら、「ですよね」と引き下がらざるを得ないなと。ほとんどがフランス語のセリフですから、誰だって尻込みするでしょう。でも柴咲さんは、以前、NHKのドラマで、短いシーンだったんですがフランス人を相手にフランス語を喋るというのがあったんです。僕はその時は見ていなかったんですが、柴咲さんに決まった後に、それをフランスの録音の専門家に見せたら、「この人ならいける。この人ならもう少し訓練すれば、たぶんフランス語はいけるよ」と言ってくれたので、そこから猛特訓していただいたんです。 池ノ辺 2カ月くらい現地で生活しながら覚えていったそうですね。 黒沢 撮影のもっと前からパリで生活されていましたから、そこでフランス語をどんどん吸収されていったんだと思います。僕は基本的に俳優の力を信じていますが、本当に普通の人には考えられない言葉のセンスとか、短期間にものすごい集中力で言葉を習得する能力ってあるんですね。僕にはどうやるのかわからないですけど(笑)。柴咲さんも大変だったと思いますけど、現場でもフランス語のセリフが、フランス人も驚くくらいすらすら出てきてました。 池ノ辺 演技も素晴らしかったです。自転車の乗り方とか走り方とか、目つきが変わっていくのもオリジナル版と同じようでした。 黒沢 柴咲さんに対しては、哀川さんの真似をしてくれということは全く言ってなく、オリジナル版を観たかもしれないですが、とにかくそれは全部忘れて、全く新しいものということでやってくださいと言いました。柴咲さんも、オリジナル版の哀川さんとは全く切り離されたところで演じられていたとは思うんですけど、まあ、どこかで共通したものは出てくるとは思っていました。 池ノ辺 お話はほぼ同じわけですからね。 今回の作品で、ほかに監督がこだわったところはどこですか。 黒沢 先ほども言いましたけど、オリジナル版と、同じところは同じでいい、違うところは全く違う、というように、どこか割り切ってはいましたね。 池ノ辺 前回から26年経っているわけですが、その時間の流れの影響もあったのでは? 監督もその間に経験を重ねて、いい作品もたくさんできて、賞賛されることもさらに多くなってきたでしょうし。 黒沢 あんまりそういうことは考えていないですけどね。むしろ、リメイクとはいえフランス映画を撮るというのはとても刺激的な経験で、新人に戻ったつもりで、ワンカットワンカット全く新しいものを撮るのだという気持ちでした。フランスの俳優やスタッフたちにとっても、新鮮な現場だったのではないでしょうか。 池ノ辺 26年前はフイルム撮影ですか。 黒沢 確かにそこからして違いますね。しかもスーパー16です。35ミリよりもっと画質の悪い、よくも悪くもざらざら感が特徴のものでしたから。今回はデジタルですから全く違う画質ではあるんですが、全く違うアプローチではありつつ、人間の底知れない何か、心の奥底にどんどん分け入っていくというところでは同じなんです。スーパー16とデジタルという全然違う素材を使ったわけですが、やはり目指したところは一緒なんだろうと思っています。