「東京の中の“地方”」その4 江戸が首都になったわけ。幻と消えた大阪遷都。大久保利通の決断と6つの理由とは
【イラスト】明治天皇の東京行幸(フランスの新聞雑誌『ル・モンド・イリュストレ』1869年2月20日刊行号内の挿絵=パブリックドメイン(著作権消滅)素材、「ウィキメディアコモンズ」から)
さて、前回は、江戸の街が、地方の大名の“大使館”が林立する、日本という“連邦国家”の“首府”であり、世界にも類のない、美しき自然都市であったが、明暦の大火や、明治維新といった劇的な環境変化があったにもかかわらず、主要な道路など都市の構造は、ほとんど変わることなく現在の東京へ受け継がれていることを述べた。が、その江戸の街はどうして、明治維新後、新たな国家「日本」の首都とされたのであろうか。今回はその経緯を探ってみることとしたい。(小山内豊彦・青森県立保健大学社会福祉学科特任教授)
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