V奪還を狙う旭化成は葛西潤がパリ五輪出場 高卒“叩き上げ”の齋藤椋も主要区間候補に成長【ニューイヤー駅伝】
■ニューイヤー駅伝に出られなかった6年間をステップに 他チームに比べ高卒選手を多く採用して育成するのが旭化成の伝統だ。いわゆる“叩き上げ”の選手たちで、近年は茂木圭次郞(29)が21年大会1区区間2位、前回の長嶋らが活躍してきたが、前回は齋藤椋も入社7年目で初めてニューイヤー駅伝に出場。6区で区間7位だったが、齋藤個人にとっては極めて大きな意味があった。 齋藤は秋田工高時代に5000mで13分53秒75とそのシーズンの高校リスト10位の記録を出している。インターハイでは5位に入賞した。リオ五輪マラソン代表の佐々木悟(亜細亜大監督。当時旭化成)の後輩として、期待されて入社した選手だった。だがケガが多くニューイヤー駅伝には6年間、メンバー入りできなかった。齋藤は「この世界で生き残ってはいけないと思いました」と、24歳だった頃を振り返る。 「それまでと“同じでいいや”と妥協したら、故障が多い自分のままです。昨年5月から鎧坂(哲哉、34、旭化成)さんにメニュー作りを相談して、そこで変わることができたことが大きかったですね」。駅伝前にはチームの練習に合流するが、駅伝の時期以外は鎧坂の立てたメニューをもとに、個別で練習を行った。「一段階も、二段階もスピードを上げた、経験したことがない練習で新鮮です」。 スピードを上げたが「今年1年間、大きな練習離脱はありません」と良い状態を維持できている。「今までケガをしまくってきたので人より(故障の前兆に)敏感になっていると思いますし、鎧坂さんやトレーナーさんに相談しています。自分1人でやるのではなく、人を頼ることも大事だとわかりました」。その結果、入社7年目で初めてニューイヤー駅伝に出場。「すごく注目されて、会社としても重要な大会」ということを肌で感じられた。 6区区間7位で、タスキは3位で受けて順位の変動はなかった。「追っていかないといけない状況でしたが、(1つ前の)Hondaの小山(直城、28)さんとの差を詰められませんでした。(前半からスピードを上げる)攻めの走りが足りませんでしたね。レベルの高い駅伝だと実感しました」。新しい練習スタイルを継続した今季は、5月に5000mと10000mで自己新を連発。11月の八王子では10000mで27分45秒08と日本トップレベルに近づいた。11月の九州実業団駅伝では5区で区間賞。チームを3位からトップに引き上げ、優勝に大きく貢献した。