独自に築き上げた技術で、長崎べっ甲の歴史をつなぐ『安龍工房』
ウミガメの甲羅や爪、肚甲などを巧みに加工して作られるべっ甲細工は、300年以上の歴史を持つ。長崎には原材料が豊富にあったことから、古くからべっ甲細工の製造が盛んに行われており、2017年には「長崎べっ甲」が国の伝統的工芸品に指定された。『安龍工房』は長崎べっ甲の歴史をつなぎ、その技術を継承している会社のひとつだ。 今回は、同社の藤原慎二さんと、藤原佳美さんにインタビューを実施。べっ甲細工の製造方法や魅力、直面している課題などについて話を伺った。
べっ甲製品の製造・販売のどちらも担うのは、3社のみ
ーまず、御社について教えてください。 佳美さん(以後、佳美): 安龍工房は、私の父である安田龍夫が1969年に創業しました。父はいろいろなアイディアがすぐ浮かぶ人で、常に挑戦を続けてべっ甲業界に新しい風を吹き込んできました。 しかし、独自に発明した技術でも特許を取ろうとはしなかったんです。「長崎ではべっ甲を発展させることが重要だから、独占するのはよくない」という考えだったようです。「べっ甲製品が広まれば、長崎の観光業も盛り上がる。それでいいんだ」と言っていましたね。 弊社はほぼ100%に近い状態でべっ甲製品の製造だけをしていたのですが、現在は自社でインターネット販売も始めたので、今後は少しずつ販売の割合も増えていくのではないかと思っています。また、長崎空港では複数の会社と合同でブースを出して商品の販売を行っています。 父の代から変わらないデザインの商品もあれば、今風のデザインにリメイクして販売している商品もありますよ。 ー慎二さんは、いつから製造に携わられているのでしょうか。 慎二さん(以後、慎二): 18年前からです。べっ甲製品の製造の手伝いから始めました。義父は1から教えるというよりも、「見て学べ」というスタイルで、ときには周囲の方々が驚くような喧嘩をよくしていましたね。「初代は厳しい人なので、ついていけないんじゃないか」と、心配されていました。 佳美: 父は他人には優しいのですが、身内には厳しい人でした。私にも、慎二さんにも厳しかったですね。 慎二: 私も自分の考えを貫くほうなので、よく意見していたんです。 当時は商品がよく売れている時期だったので、とにかく数をこなす必要がありました。義父は「安く早く」と考えていたのですが、私は「安くても丁寧に、できるだけ早く」という考え方で。 義父のやり方だと3~4日で100個商品を完成させられるのですが、私のやり方だと100個作るのに1週間かかる。考え方の違いがあったことで、よく言い合いになっていました。 佳美: 今は父が仕事をするのが難しくなってしまったので、私たちが中心となって製造を続けています。 ーべっ甲は、国の伝統的工芸品に指定されていますよね。 佳美: 2017年1月に指定されました。長崎県の伝統的工芸品としては昔から指定されていたのですが、国の伝統的工芸品の指定は難易度が高く、なかなか指定されることはありませんでした。 指定されるきっかけとなったのは、大学教授の方が目をつけてくださったこと。そこから2つの組合が協力してPR活動を行い、国の伝統的工芸品に指定されました。 ー長崎べっ甲の組合に加盟している事業者は、どのくらいあるのでしょうか。 佳美: 組合に加盟している業者は、2022年までは14社あったのですが、現在は12社になっています。 組合ができたのは1962年。当初は100~200社ほど登録していたそうですが、2020年の調査では30社ほどになっていました。今では、製造・販売を両方とも行っているのは12業者の中でも弊社を含めて3社だけです。 組合に加盟せず個人で製造されている方も何人かいらっしゃるので、もう少し数は多いと思いますが、産業の規模は昔の10分の1ほどになっています。