江戸時代に盛んだった樽丸林業とは? 年間100万個の酒樽に加工された「吉野杉」
あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず! 「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。 【写真】吉野杉の山林。天に向かってまっすぐに立ち並ぶ美しい姿は、丁寧に手入れされてきたことの賜物である 古代より山岳信仰の聖地とされてきた奈良県吉野は、「一目千本(ひとめせんぼん)」といわれる桜の名所でもあり、「よしの」の語は桜の代名詞ともなっている。その一方で、吉野山周辺の山地は、中世末期から建築材の供給地として注目され、いち早く林業が興った地とされる。なかでもこの地で産する杉は、丈夫で美麗な銘木として「吉野杉」の名で呼ばれてきた。長く地元で営む製材所で、その歴史と現在を尋ねた。 【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】 昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。 【(編者)歴史街道推進協議会】 「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。
聖なる山の桜と杉をつなぐもの
山の下側から上、奥へと「下千本・中千本・上千本・奥千本」と称される膨大な吉野山の桜木。それらは、役行者が蔵王権現を像に彫る際に桜の木を用いたという伝承から、桜が聖なる樹木とされ、平安時代後期以降、盛んに寄進されて植えられてきたことによって生じたという。そうした植林の歴史があったからか、吉野での林業は国内でもいち早く、1500年代にはすでに営まれていたと、古記録から推定されている。 ことに文禄3年(1594)に5千人もの配下を引き連れて吉野で花見の宴を開いた豊臣秀吉は、吉野を直轄地とし、大坂城、伏見城、聚楽第(じゅらくてい)、方広寺など、かずかずの大建築の用材をここから供給させた。その伐採後には新たに苗木が植えられ、林業の興業につながったのだという。