江戸時代に盛んだった樽丸林業とは? 年間100万個の酒樽に加工された「吉野杉」
明治の偉人「日本林業の父」を生んだ地にて
吉野林業を語るうえで忘れてはならない人物に、土倉庄三郎(どぐらしょうざぶろう)がいる。 天保11年(1840)、吉野郡川上村の林業家に生まれた庄三郎は、15歳で家業を継ぎ、明治時代を迎えると、吉野郷材木方大総代、県産物材木取締役となり、林業の要である輸送路の整備にあたった。吉野川の改修や東熊野街道の整備などである。 また、奈良公園の造林にも関わったのち、明治31年(1898)には、伝来の造林技術に自らの研究による工夫を加えた成果『吉野林業全書』を刊行。各地の林業に影響を与え「日本林業の父」とも称された。 山縣有朋(やまがたありとも)から「樹喜王(じゅきおう)」の称号も贈られた庄三郎は、社会活動にも尽力し、自由民権運動の後援者となり、同志社大学や日本女子大学の創立に資金を提供したことでも知られる。地元の川上村においては、私費で小学校を設け、教科書や文具のみならず、東京銀座で仕立てた制服を生徒に支給。当時日本一といえる教育水準を実現したという。 子どもへの教育こそ、将来の国のためになるという考えがあってのことであり、ここから多くの人材が育っていった。これらの事跡はまた、当時の吉野林業がそれほどの財力を生むものであったことを物語るものでもあろう。 吉野町の吉野貯木場に軒を並べる木材工場の一つ、吉野中央木材株式会社を訪れ、この7月に父の跡を継いで代表取締役社長になった石橋輝一さんにお話を聞いた。この貯木場の昭和14年(1939)開設にあわせて前身の会社を興したのは、石橋さんの祖父の兄で、祖父兄弟は川上村の出身。ここに移る前は、川上村で林業を営み、樽丸板も製造していたという。 「かつての樽丸林業にかかわる職人の男たちは、山中の宿舎にひと月ほど泊まり込みで作業にあたっていました。祖母から聞いた話では、そこへ妻や子が食事を運んだ際、帰りは樽丸を背負って戻ったといい、それがよい収入になったそうです。地元の人たちの間に循環する経済が成り立つことで、樽丸林業は地域に広まったのでしょう」 その樽丸林業の時代が終わり、代わって林業を支えた、戦後の復興と成長期の材木ブームも過ぎて久しい。20年ほど前に家業に戻ったという石橋さんは、人手不足や国産材の需要低迷という現在の林業の課題に向き合ってきた。 「国産材の利用促進ということで、この10年ぐらいの間に公共施設などで国産材を使っていこうという動きが見られるようになりましたが、私たちも地域の後継者でつくる団体を通じて、材木工場の見学イベントなどの企画を進めてきました。まずは木について知ってもらいたいと願ってのことです」 その思いは、地元中学校に入学した生徒と一緒に学校の机を作り、卒業時に持って帰ってもらうプロジェクトや、ゲストハウス「吉野杉の家」の建築というかたちにつながってきた。 ただ、そうしたPR活動を次の世代に譲り、自身の事業を考える年齢になってきたと石橋さんはいい、これまでの活動から育ってきた事業を挙げる。 「日本酒や醤油の仕込み桶である木桶の素材としての吉野杉の提供です。最初は15年前、地元酒造会社とチームを組み、新しい木桶で酒を醸造するプロジェクトを始めました。新桶では1年目は良い酒は造れないといわれていたのですが、吉野杉の木桶では最初から良い酒を造ることができ、改めて桶の素材としての吉野杉の素晴らしさを確認しました」 杉樽仕込みの酒は、その後も「百年杉」の銘柄で限定生産され、人気商品となっている。 酒の木桶と並行して、醤油の木桶への吉野杉の利用も始まった。きっかけは小豆島の醤油メーカーからの、木桶を使った本物の醤油を造りたいという声掛けだったという。素材面でのサポートを起点に醤油醸造関係者とのつながりが増え、他のメーカーの木桶製造にかかわるまでになった。木桶で仕込んだ醤油は、海外で高価で取り引きされるという。 「当社の杉材の売り上げの5分の1ほどを、木桶用が占めるようになりました。ただ配慮しなければならないのは、建築用の杉は木目が変だからといって強度的には問題はないのですが、そうした杉材を樽に用いると中身が漏れる可能性があり、木目を見て木取りをする経験と技術が求められます。そういう目利きに応える素材としても、密植林業から生まれた吉野杉がやはりもっとも優れています。ほかの地域でも密植が行なわれてはいますが、そういう杉が豊富にあるのは吉野の地しかありません」。 実は近年、需要減少を背景に、吉野では樹齢100年を超えた杉林も伐採されることが少なく、苗木を植える機会が減っているという。石橋さんたち有志は「密植復活プロジェクト」を立ち上げ、まずはこの秋に杉の種を取って苗木を育てるところから始めようと計画している。100年後にも新しい杉樽で造られた酒や醤油を味わってもらえるようにと。
兼田由紀夫(フリー編集者)