音楽の授業は楽しかったですか?『ちいかわ』の劇伴も手掛けるトクマルシューゴが音楽教育を語りまくる
新作『Song Symbiosis』の背景には、研究から得たものも。日本音楽の根本を紐解く
ー今年8年ぶりとなる新作『Song Symbiosis』がリリースされていますが、保育の研究とご自身の作品との関連についてもおうかがいしたいです。 トクマル:保育の研究を始めて、自分の音楽はそもそもどういうものなのかを考えたときに、僕は日本の教育の影響を受けて音楽をつくってるんだということに気づいて、そこから歴史を調べるようになったんです。 そうすると、ここまで「芸術」と「教育」について話しましたけど、もう一つの「芸術教育」についても考える必要がある。芸術教育をなぜ取り入れるのかという話になると、国としては2つの視点があって、1つは「芸術のための芸術教育」。芸大で絵を勉強するとか、音楽教室でクラシックのピアノを学ぶとか、その芸術ジャンルにおける教育のメソッドを使って学んでいく。 もう1つが「芸術を通した芸術教育」。芸術教育によって得られるメリットはいっぱいあって、例えば、整列させるために音楽が重要、国の言語をまとめるためにも音楽が有用、みたいなことですね。日本の芸術教育はこの二つを同時にやってきたんです。 ー明治維新以降ということですよね。 トクマル:そうですね。明治維新のときは特に徳育思想が強いので、国民を育てるための芸術教育に振り切っていて、そのときに使われた音楽が西洋の童謡だったんです。 明治時代からそういう音楽教育が始まって、時代を経て、いまみたいなかたちになってるんですけど、僕らが音楽で感動する仕組みもなんならここで形成されている。僕が『Song Symbiosis』をつくるときに考えていたのもそういうことで、“Autumn Bells”はその移り変わりを描いているんですね。例えば、前半にはうっすら日本の伝統的なわらべうた、“かごめかごめ”、“おおなみこなみ”、“なべなべそこぬけ” 、”あぶくたった”のメロディーを入れていて、その間に入ってるのが琵琶で、後半にうっすら入ってくるのが“風車”という曲なんですけど、これは音楽教育のためにつくられた最初の唱歌の一つなんです。 この曲は雅楽の人たちが西洋の音楽の構成を取り入れつつ、西洋の音階を使わずに日本人なりにやってみようと試行錯誤してつくった曲で。“風車”というタイトルもフレーベル(※)の教育理論から取ってきて、日本人ならではのものをつくるべくつくられた曲なんです。 ※フリードリヒ・フレーベル。「幼児教育の父」と呼ばれるドイツの教育者。世界最初の幼稚園を設立したことで知られている。 ーなるほど。 トクマル:ただ、明治維新でやりたかったことは国をもっと西洋化することで、そのために和洋折衷をしていきましょうと。“ちょうちょ”もそれでできた歌で、メロディーはドイツの童謡なんですね。それを伊沢修二という人がアメリカで勉強して、歌詞は日本のわらべうたを基盤にして、日本の音楽教育に取り入れましょう、となった。 そうやって和洋折衷してつくられた唱歌はいまも音楽の教科書にいっぱい残っていて、“ふるさと”も日本の心みたいな感じで語られる曲ですけど、実際のメロディーはめっちゃ西洋音階だったりするんです。僕らが歌ったり聴いたりしている音楽の根本にはこういう和洋折衷の考え方があって、今のJ-POPの大元にもなってるんです。 ー“Autumn Bells”はそんな日本の音楽の変遷を描いていると。 トクマル:なくなってしまった日本音楽の儚さみたいなことですね。当時の教科書には日本の民謡とか、歌舞伎で使われてたような音楽は一切排除されてるんです。でもその後にそういった日本古来の音楽が再評価されて、今では日本の民謡も必ず教科書に載ってるんですけど、ときすでに遅しというか、民謡のことをちゃんと教えられる人がいなくなってしまった。 だから現時点では生活とのつながりが強い音楽はむしろ和洋折衷のもので、無理して伝統音楽を教えるほうが乖離が起きてしまうんです。 いま中学校では和楽器が必修になっていて、 箏か尺八か三味線などを選ぶんですけど、どれも素晴らしい楽器なので本当に大好きになってくれたら嬉しいんですけど。