音楽の授業は楽しかったですか?『ちいかわ』の劇伴も手掛けるトクマルシューゴが音楽教育を語りまくる
音楽の教科書大好き。大事なのは授業のやり方
ー小学校の高学年から芽生えた音楽の授業に対する違和感は、中・高校生になっても変わらずでしたか? トクマル:そうですね。僕は音楽の教科書自体はすごく大好きだったんですよ。特に最近の教科書はめちゃくちゃよくできていて、今日一応持ってきたんですけど。 一表紙からしてだいぶ変化していますね……。 トクマル:ここに載っている曲たちもすごく大好きな曲がいっぱいあって、教科書自体に文句はないというか、やっぱり大事なのは授業のやり方で、今度は「芸術教育」の「教育」のほうを考えなきゃいけない。 ラーニングモデルとして考えると、「教育」は大きく二つに分けられて、系統主義的な教育と、経験主義的な教育があるわけです。前者は系統立てて学ばせていく、段階を経てやりましょうという考え方。 技術習得も段階があって、例えば、子どもにヴァイオリンを渡してもすぐに曲を弾けるようにはならないですよね。小学校の算数で言えば、足し算、引き算、掛け算というように、段階を経てやっていくのが系統主義。「何年生はこれをやりましょう」というのが決まっていて、チョーク&トークでその学問の成果みたいなものを教えていく作業ですね。「これを覚えましょう、テストに出るから」というやつ。これによって教育の平均レベルが上がるという考え方です。 ー経験主義的な教育は? トクマル:いまで言う体験学習、総合的な学習の時間、アクティブラーニングみたいな、先生から教えていくんじゃなくて、経験から得ていく、みんなで話し合いながら学んでいく、というものですね。自分の興味関心があるものを実体験から学んでいく。それは将来のための学びというよりも、いま生きるなかで自然に学ぶイメージです。ただ、これだけだと自分が興味のあるものにしか行かないから、将来もしかしたら役立つはずだったものが学べていないかもしれない、という反論も出てきます。 でも系統主義にも問題はあって、子どもの経験に対して過剰な先回り教育をしてしまう可能性がある。「連立方程式とか微分積分はいつ使うんですか?」みたいな、実際は使えるものなんですけど……要は無意識的に、機械的に学ばせていく面が強くなってしまう。なんだかよくわからないけど学べと言われて、テストがあるからそれをやるしかない。勉強自体にゲーム的な魅力を感じる子は楽しくできるんですけど、ほとんどの場合が生きることと乖離を感じてしまうから、興味を失っていく。 それぞれにいい面と悪い面があるから、どちらも扱いましょうというのがいまの教育界の考え方ではあるんですけど、現時点ではやっぱり系統的な学びのほうが義務教育課程では強いんですよね。どうしても自分の経験と乖離した授業が多くなってしまうので、難しさはあると思います。「なんでリコーダーを習うの?」という疑問が出てくるのも当然だと思います。僕はそこでリコーダーの良さを熱弁できる先生が増えたら嬉しいわけですけど(笑)。