音楽の授業は楽しかったですか?『ちいかわ』の劇伴も手掛けるトクマルシューゴが音楽教育を語りまくる
ジョン・ケージやスティーヴ・ライヒをどう教える? 教育者が自身を起点に考えること
ートクマルさんが現在の音楽性を形成する上で、一般的には子どもの音楽ともとらえられるトイミュージックに傾倒したことと、保育の研究とは関連があると思いますか? トクマル:僕は子どものころからおもちゃ楽器が大好きというか、そもそもおもちゃが大好きだったんです。例えば、ヴァイオリンは絶対に壊しちゃいけないけど、おもちゃの楽器はなんなら壊れてもいい、というか壊れてしまうわけですよね。分解しやすいっていうのもあるし、使い方も規定されていないから、要するに遊びやすいわけです。そこが大好きだったんですよね。 ー生活のなかにあるもので音を鳴らしてみるトイミュージックは生活と乖離していない音楽だと言えるし、割り当てられた楽器を演奏するのではなく、自分で「これ面白い音が鳴るかも」っていう、ある種の能動性が鍛えられる音楽ジャンルでもあるなって。 トクマル:そういう面はあると思います。この話は提示する側の知識にも関わってくるんですけど、「世の中にはこういう不思議な音楽があるよ」「この音楽にはこんな面白さがあるよ」という可能性を提示できることが重要だと思っていて。 さっき見せた小学校の教科書にもいろんな面白い音楽が載ってるんですよ。例えば、スティーヴ・ライヒ(※1)の“クラッピングミュージック”が載っていて、「ずれの音楽を楽しみましょう」みたいなことが書いてあったり、「ジョン・ケージ(※2)の無音の音楽というのがあります。周りの音をよく聴いてみたら何が聴こえる? もっといろんなものが音楽に聴こえてくるかも。音楽ってなんだろう?」みたいなことができるような内容があったりするんです。でもじゃあ音楽の先生たちがみんなジョン・ケージやライヒを理解してるかというと、それはなかなか難しい。 ※1 音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる「ミニマル・ミュージック」を代表するアメリカの作曲家(1936年~)。作品には、複数の奏者が同一フレーズを繰り返しながら少しずつずらして音色を変化させていく特徴がある。 ※2 アメリカ・ロサンゼルス生まれの作曲家(1912~1992年)。“4分33秒”を作曲したことで知られる。これは演奏者が舞台上で楽譜をめくるのみの作品。 ーそこは個人の資質にも関わってくる。 トクマル:日本の音楽の教科書は民謡に関してもやばくて、民謡マニアじゃないとわからないような民謡を紹介してたりもするんですね。だから、教科書自体は子どもの興味を広げる可能性を秘めたものだと思うんです。 そう考えると、まずは教える側が1回立ち止まって、自分に立ち返らなきゃいけない。「どんな教育モデルが理想的なのか」という話をしたときに、画一的な唯一の正解はないんですよね。「どうすればよい芸術が生まれるのか?」という問いに対して、画一的なマニュアルはないじゃないですか。僕の大好きなThe Shaggsとか、ああいうバンドはどうやって生まれたんですか? って、誰も答えられる人はいないし、あれを教育で育てるなんて不可能だし。なので、ああいうものをどう生むかではなくて、あの面白さを僕たちが認識できるようになる、そっちのほうが重要だと僕は思います。 だから、良き教育の姿というのは動的に考える必要があるというか、教育の変容性を認めることが重要で、いま自分たちの日常ではどんなことが起きていて、そこにいる先生自身と子どもたちは何に興味関心があるのかを考える。それを前提に、もう一度教科書をバーっと見て、もっとほかのやり方もあるんじゃないかと、それをみんなで考えてみるところからスタートする必要があると思います。 ー芸術の分類として「適合」の話がありましたけど、子どもと適合するのもそうだし、先生の側も適合が大事だという側面があるかもしれないですね。 トクマル:そうですね。例えば、先生がもしアニメがすごく好きで、アニソンも詳しかったとしたら、アニソンに含まれる過去の音楽の蓄積を紐解いて、もしかしたらそれが民謡やクラシック音楽とつながるかもしれないじゃないですか。そう考えると経験主義的な側面というか、興味関心からだんだんとつなげていくやり方のほうが、音楽は割と教えやすいというか、自分と乖離しない教育のあり方になっていく気がするんですよね。