「街に失業者があふれようがおかまいなし」ビッグテックがAI開発に全力を注ぐ真の理由とは..「貧富の差」「モラル」を無視して進む<人工知能民主主義>に希望はあるか
ビッグテックがAI開発に注力しているワケ
そもそもビッグテック各社は、なぜこれほどまでに人工知能開発に熱心なのか? その理由の一つに、この先、人工知能が十分に発達すれば「広告が不要になる」という現実があることは間違いない。 あなたが本を買おうと思ったら、まずAmazonで検索するかもしれない。しかし、今や生成AIの力を借りれば、読みたいテーマを言うだけで、それにあわせて自動でコンテンツを生成してくれるようになった。 そのせいか、既にKindle上にはAIで生成された本が溢れ始めており、あまりにたくさん刊行されるために、Amazonは「一人のユーザーは一日に三冊までしか本を発売できない」という規制をかけた。 筆者も昨年上梓したうちの2冊を「GPT4の力を借りて書いた」とこの連載に記した。しかし、去年のGPTと今のGPTでは、性能はすでに格段に異なる。 何が大きく違うのかといえば、一度に扱える文章の長さだ。 去年GPTが騒がれ始めた時は日本語にしてわずか約8000字しか扱えなかった。これでは短めのコラムを書くのがせいぜいだろうが、昨年発表されたGPT-4-1106は13万字、Googleが開発・発表したGemini1.5は、なんと100万字を扱うことができる。つまり、立派な本を一冊書けるくらいの量を十分に扱える、ということだ。 まもなく人々は、何かを読む際「誰かが書いた本を読む」か「AIが自分のために書いたものを読む」か、当たり前のように選択することになるだろう。
儲けの源泉は本質的に<広告ビジネス>
なかなか広告がなくなる話にならない、と感じたかもしれない。しかし、この先、あらゆる文章も動画も、AIに生成させたほうが「より見たいものに近づく」と仮定すれば、局面は変わっていく。 そもそも広告は、野外広告から始まったとされる。それが、新聞や雑誌に掲載されるようになり、ラジオ広告が「発明」されて、テレビCMが発明された。その後、インターネット広告が90年代にはじまり、その主流がモバイル広告に移行したのが2010年前後。iPhoneとAndroidが普及した頃となる。 これらの広告の向かう先はすべて「消費者に近づく」ことにあった。 電車の中から景色を眺めれば交通広告が見える。テレビでドラマを見ようとすれば、CMを強制的に見せられるし、ウェブを検索すれば検索連動広告が出てくる。 広告を作る人たちにもプライドがあるのは分かっているが、それでも、あらゆる場所から消費者に近づこうとする広告は、おおむね邪魔な存在で、「広告のせいで商品そのものが嫌われる」というリスクが同居する状況に置かれてもいた。先述した「偽広告」など、その際たる例だろう。 しかし、今ビッグテックがやろうとしていることは、実際には「新しい広告代理店」と「その専業下請け業社」に過ぎないのだ。 Googleで知りたいことを検索したら、Amazonの本の広告が出てくる。だからAmazonで本を買う。この過程の全てはAppleのiPhoneやiPad、macOSの中で完結している。 もちろんAppleをMicrosoftに置き換えてもこの話は成立する。とにかくそこにあるのは「代理店」「コンテンツアグリゲーター」「メーカー」の関係性である。 日本でいう、広告代理店とテレビ局と電機メーカーの関係が、そのままGoogleとAmazonとAppleの関係にあてはまるというとわかりやすいかもしれない。もしくはFacebook(およびInstagram)、Twitter(x.com)、Googleは「代理店」、Amazon、note、mediumは「コンテンツアグリゲーター」、Apple,Intel,GoogleのAndroid事業は「メーカー」などと捉え直せば、すっきりするだろうか。 各社の事業領域が、旧来の広告代理店などと異なっていたり、逆にビッグテックの面々の間の業務領域で被る部分が多々あったとしても、儲けの源泉は本質的に<広告ビジネス>にある。だからこそ、ビッグテックは急いで「広告の次」のモデルを模索しているのだ。 実用的なAIが出現すれば、この関係は必然的に変化する。 その関係の変化を踏まえ、各社がとった戦略が形になったものの一つが、Microsoft(OpenAI)とGoogleが作った「会話するAI(ChatGPT/Gemini)」「ユーザーの思考に近づく」という動きで、AppleやFacebookがとったのが「ユーザーの視覚と聴覚を奪う」という形での動きなのだろう。 いずれにせよ、変化に対応するには「早急に」「他者よりも良い」「新しいビジネス構造」を創出する必要がある。 そう考えれば、Facebook(Meta)のAI研究所であるFAIRが、自社のAIを積極的にオープンソース化しているという動きにも一定の納得感がある。 これは、異なる戦略を持つGoogleとMicrosoftの「AI囲い込み」に対抗し、彼らの優位性を牽制・無価値なものにするために、積極的な「類似するAIのオープンソース化」を進めたのではないだろうか。 最近は、AppleもFacebookと同じくAIをオープンソース化する戦略に切り替えてきたのを考えると、「思考に近づく」派閥と「肉体に近づく」派閥での共闘関係と捉えることもできるかもしれないが。