セルビア代表コーチを経て初の監督挑戦へ。悩んだ決断、ミスターからの言葉【喜熨斗勝史の欧州戦記】
思い出される「宇宙に飛び出したような感覚」
その翌日、ミスター(ドラガン・ストイコビッチ監督)にセランゴールの話を切り出しました。「本当に残って欲しい」と言ってもらえましたが、それ以上にミスターが言ってくれたのが「でも、そういうポジティブなチャレンジの話があって、キノ(喜熨斗氏の愛称)が判断したのならば絶対にいくべき。失敗を怖がるのではなく、失敗した時に次を考えれば良いんだ」という言葉でした。何度もDon't worryと繰り返し「これからも良い関係を続けていこう」と背中を押してくれました。 思えばミスターとは名古屋時代からの付き合い。間近で「帝王学」を学んできました。細部を気にしながらも細部に動じず、大局を見据える心構え。自分自身の実力や運、判断を信じる力。例えば思ったような結果が出なくても、その過程を肯定するブレない心など、監督としての重要な資質を見てきました。 そして世界のトップで活躍する選手たちへの指導は、多くの日本人指導者が体験できないこと。特に守備パートを担っていた私にとってはがザルツブルクからACミランに移籍したストラヒニャ・パブロビッチらのステップアップは嬉しかったです。 セルビア代表で経験したひとつ一つのことは脳裏に刻まされています。その中で最も印象深いのは21年11月14日のワールドカップ欧州予選最終節ポルトガル戦。勝たなければワールドカップ出場権が得られない中、後半45分にFWアレクサンダル・ミトロヴィッチがゴールを決めて敵地で逆転勝利を手にしました。あの時の感情を表現するならば「宇宙に飛び出したような感覚」。絶対にできないと言われていたことができたし、限られた人間しか味わえない体験をさせてもらいました。 さて、19日に欧州ネーションズリーグを戦い、28日にはACL2ムアントン戦(タイ)で監督デビューでした。スタンスはアシスタントコーチ時代と変わらず、自分の100パーセントを注ぎ込んで結果を求めていきます。これまでの歩みがベースになっているのは間違いないですが、もう過去はどうでも良い。ここから未来に向けて、セランゴールのために何ができるかということを考えて仕事に邁進してきます。 読者の皆さま、ありがとうございました! PROFILE 喜熨斗勝史 きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。 指導歴 95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ 97年~99年:平塚フィジカルコーチ 99年~02年:C大阪フィジカルコーチ 02年:浦和フィジカルコーチ 03年:大宮フィジカルコーチ 04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ 05年:横浜FCコーチ 06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター) 08年~14年:名古屋フィジカルコーチ 14年~15年8月:名古屋コーチ 15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター 19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行 21年3月~: セルビア代表アシスタントコーチ
【関連記事】
- 「英国とかイタリアに行ったら、また変わるけどなー」吉田麻也が移籍を期待する日本代表戦士は?「イギリスが1番だと思っていたけど…」
- 現代サッカーをどう思うか――小野伸二の質問に中村俊輔の答は?「ファンタジスタ的な考え、10番的なスタイルの人からすると...」
- 「世界のトップ5は可能」川崎FWゴミスが日本サッカーの躍進に期待!「若手世代は非常に素晴らしい練習をしている」
- セルビア代表での3年間の集大成、EURO2024で得た貴重な経験。驚かされたキミッヒ、ククレジャ、ヤマルらのデータとは?【喜熨斗勝史の欧州戦記】
- いよいよ開幕するEURO。現地で感じる熱は?セルビア代表の仕上がりは?【喜熨斗勝史の欧州戦記】