「カタカナが思い出せない…」61歳敏腕記者を襲った認知症、“ボケの恐怖”と“体当たりの早期治療”
新聞や雑誌の記者として、40年以上にわたり、さまざまな現場の最前線で活動を続けてきた山本朋史さん(72)。そんな山本さんが、自身の脳に異変を感じたのは61歳を過ぎたころだった。 【写真】認知症を食い止めた! 61歳の敏腕記者・山本さんの「実践リスト」 「いちばん大きな不安を感じた出来事は取材をダブルブッキングしてしまったことですね。30年以上記者をやってきてそんなミスは一度もしたことがなかったし、人にも迷惑をかけてしまったことがショックで……」(山本さん、以下同) ちょうどそのころ、インタビューでメモを取るときに、難しい漢字はおろか、カタカナが出てこないことがあったり、人に対して感情のコントロールがきかなくなることがしばしばあったという。
「認知症かも」不安を募らせ病院へ
「お店で頼んだものが出てくるのが遅かったりすると、“どうして僕のだけ遅いんだ!”と大きな声で怒ったりしてしまうことがあって、これは何かおかしい、と思ったのです」 認知症を疑った山本さんは、東京医科歯科大学病院の「もの忘れ外来」を訪れる。CTやMRI検査を経て、診察にあたってくれた朝田隆医師から、認知症になる前の軽度認知障害(MCI)であることを告げられる。 「認知症になる前の初期の症状だっていうんですが、僕は毎日原稿を書いていましたし、脳に刺激を与えているんだから、まさか認知症になるわけがないと思っていたんです。でも、放っておくと4年で半数の人が認知症になると聞いてビックリしました」 このまま症状が進んで認知症になれば記者の仕事も続けられなくなる。 症状の進行を抑えるための選択肢には、薬と朝田医師が推進しているデイケアでの認知力アップトレーニングがあると説明を受けた山本さんは、デイケアに通い自力で認知力を回復するほうを選んだ。 ただ、週に1回デイケアが行われている茨城県の筑波大学へ通うとなると仕事に支障が出る。そこで職場に相談したところ、治療の実体験ルポを、当時在籍していた『週刊朝日』で連載することを提案され、仕事と治療を両立して進められることになった。 「誌面で実名を出すことには少し抵抗があったんです。でも職場の理解や、同じ仕事をしていた妻の後押しもあって、仕事と治療が同時にできたのはありがたかったです」 そしてそれが、同じ悩みを抱える人たちの一助になれたらうれしい、という思いもあったという。