センバツ2024 田辺、選手たちにエール 1995年夏出場・当時の監督と主将が語る /和歌山
76年ぶり3回目のセンバツ出場となる田辺は、過去に一度だけ夏の甲子園に出場している。学校創立100年にあたる1995年夏に和歌山大会で強豪を次々と降し、夏の聖地に立った。当時、チームを率いた監督と主将が大舞台での経験を振り返り、センバツに臨む選手たちにエールを送った。【橋本陵汰】 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち ◇甲子園は人生が変わる場所 初戦敗退も得たもの大きく 前監督の愛須貴志さん(63)は、当時のチームについて、投手の仕上がりが良く失点も少なかったため「面白そうだ」と分析していた。5月に箕島、南部と練習試合をした際には「箕島の尾藤(公(ただし))監督と南部の井戸(大志(ひろし))監督に『今年甲子園に行かなかったらしばらく行けんぞ』と言われた」と他校からの評価も高かった。 チームは和歌山大会3回戦で南部と対戦。同じ地区でしのぎを削り、互いを意識する存在で、当時の主将、講初(こううい)修也(のぶや)さん(46)は「絶対勝とうと臨んだ。甲子園は目標ではなかったが、南部に勝って勢いに乗った」。この年のセンバツに出場した伊都(2017年閉校)に準決勝で競り勝ち、決勝は、3回戦でノーヒット・ノーランを記録した好投手を擁する高野山。県春季大会でも優勝した強敵だが7―1で退けた。 愛須さんは「どことやっても負ける気がしなかった」と話しつつ、「優勝は『やったー』よりも安堵(あんど)感が強かった。責任を果たせた」と当時の心境を明かす。 甲子園の初戦は、同じく夏初出場の韮山(にらやま)(静岡)で、初回に先制し、「このままいけるかなと思った」と講初さん。しかし、内野の観客席まで埋め尽くされた相手の応援団に圧倒され、いつものプレーができなかった。当時の毎日新聞は「韮山の大応援団の声援で選手同士が十分な声の連係もできず、創立100年目を白星で飾れなかった」と報じている。 試合には2-12で敗れ「あっという間に終わった」と口をそろえるが、得たものは大きかったと考える。愛須さんは「僕も選手も成長できた。今の選手が何を感じ、どう成長していくか関心がある。甲子園は人生が変わる場所。出場できる幸せを感じ、のびのびと楽しみながらやってほしい」と期待した。講初さんも「甲子園でプレーできた興奮は大きかった。後輩たちには勝ってほしいが、楽しんでもらえたら」と言葉を贈った。 今年は阪神甲子園球場の完成とセンバツの大会創設から100年の節目となる。「『100』に縁があるのかな」と笑う愛須さん。田辺の監督就任時の初代主将だった田中格監督が指揮を執ることに「不思議な巡り合わせ」を感じるといい、自身は果たせなかった甲子園での勝利を教え子に託した。 田辺は18日の大会第1日第2試合(午後1時開始予定)で星稜(石川)と対戦する。