深谷上杉氏の本城 深谷城(前編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ
また、深谷城は別名「木瓜城」と呼ばれていて、これは、深谷城の縄張が木瓜の花や実に似ていることにちなむといいます。江戸時代に書かれた「深谷古城図」によると、本丸を囲むように二丸、西丸、掃部曲輪、越中曲輪、東曲輪などの曲輪が配置されていた大城郭だったようで、この曲輪配置の形状が木瓜の花や実を連想させたようです。
残念ながら開発により、旧状をとどめていないものの、丁寧に周囲を歩けば、堀跡と思われる水路や、土塁跡と思われるわずかな土の高まりなど、深谷城の痕跡を見つけることができます。深谷城址公園の案内板に掲載されている「深谷古城図」を見ながら、市街地化された深谷城周辺を歩いて、わずかな痕跡に胸を躍らせるのも城めぐりの醍醐味(だいごみ)です。
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深谷市内の北半分は、利根川流域の広大な沖積低地である妻沼低地になっていて、この低湿地帯に面する深谷城は、河川の流路によって形成された自然堤防の微高地をうまく使って築かれています。周辺には、「血洗島」「矢島」などの「島」がつく地名が多いことからも、湿地に囲まれた土地であったことがわかります。深谷城は、低湿地に囲まれ、さらには唐沢川、福川などの河川に囲まれた、要害性の高い城であったことが容易に想像できます。櫛挽台地の突端にあたる深谷城南側は、北側よりも標高が高いため、城下町が形成されていたようです。周辺を歩くと、地盤のわずかな高低差を感じることができ、深谷城は低地のメリットを最大限に生かした平城であることがよく分かります。
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■山城ガールむつみ
歴史&山城ナビゲーター。歴史コンサルタント。歴×トキ(レキトキ)代表、三浦一族研究会副会長、一般社団法人城組副理事、千葉城郭保存活用会副代表、千葉県匝瑳市シティ・アンバサダーなど。
歴史やお城をテーマにしたイベントやツアー、講座を全国各地で多数手がける。県内でも歴史と城を使った町おこし、地域活性化の取り組みや、各地の歴史発信のための御城印発行プロデュースなどを行っている。(https://www.rekitoki.com/)