ケアや“ご自愛”的な視点ではなく「見ろー!」って気持ちで書く。くどうれいん流、自分のための日記の書き方
選んでも選ばなくてもわたしの人生は変化し続ける
――日記にはご両親のエピソードも多く登場しますね。 わたしは母親にルックスも行動もよく似ていて、母親といるとそれこそ未来の自分を見ているみたいなんです。短所も似ているので、ずっと一緒に過ごしているとうんざりすることもあるんですけどね(笑)。母に「んもう!」って思うのと全く同じようなことを夫に注意されたりするので笑えます。 ――ご両親にくどうさんご自身の結婚生活を重ねることはありますか? 「将来、わたしたちもこうなるのかな」と思いを馳せるとか。 ないですないです。家族ではありますが違う人間なので。似ているなあと重ねるのはわたしと母だけです。 ――入籍前日の日記に「肩書きや名前がどうなろうと、わたしはいつでもわたしのしたいことをしていい。」とあります。これはくどうさんの決意表明のようなものなのかなと感じたのですが、どのようなお気持ちで書いたか教えていただけますか。 あまり意気込まずに過ごしていたので、「あっやばい! 今日が最後の日じゃん」ってワタワタしながらも軽やかな気持ちで書いたことは確かです。決意表明なんて大げさなものではないんです。 将来離婚したとしても、ずっと独身でいる人生とは異なるので、結婚していない自分でいるのはこの日が最後。でも、制度的には難しいけれど結婚と独身を両方続けることができたらいいなとは考えていて。結婚するからといって独身の自分が死ぬわけではないって書きたかったんだと思います。「わたしは結婚するけれども、独身でもあるんだぞ」って。 同じ日々の繰り返しでも、ライフステージが変わったり、年を重ねたりすると、見え方や物事の捉え方が変わってきます。独身から結婚し、次は妊娠出産をするかしないかという岐路があるわけですが、「選んでも選ばなくてもわたしの人生は変化し続ける」と念頭に置いたうえで悩みたいですね。結婚したわたしがえらいわけじゃない。違う未来で独身を続けていたわたしのことも尊敬するように、妊娠出産についても選択肢のすべての先にいる自分と肩を組みながら年を重ねたいと思っています。 学生時代のように落雷に打たれたように何かに衝撃を受けたり、熱に浮かされたように書いたりすることは減ってしまうかもしれないけれど、いつまでも多感であるために努力していこうと思っています。多感でい続けるのも筋肉をつけるのと同じように、トレーニングと継続が必要だと感じているので。 くどうれいん 1994年生まれ。岩手県盛岡市在住。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』『うたうおばけ』『虎のたましい人魚の涙』『桃を煮るひと』『コーヒーにミルクを入れるような愛』、歌集『水中で口笛』、小説『氷柱の声』、創作童話『プンスカジャム』、絵本『あんまりすてきだったから』など。 日記の練習 定価 1,870円(税込) NHK出版 » この書籍を購入する(Amazonへリンク)
高田真莉絵