中山道歩きは「火の見櫓」ウォッチングが楽しいぞ! 長野には多く、群馬にはない?
ビーパルOB・宮川 勉が、中山道を歩きながら年を重ねてこそしみじみと味わい深い「歩く旅」の楽しみをご紹介。今回のテーマは「火の見櫓」。 【写真10枚】鵜沼(うぬま)宿(岐阜県)は、映画のセットのような街並みに不似合いな、高すぎる火の見櫓だった。火の見櫓の地理的変異の姿を写真で見る
火の見櫓はなぜだか懐かしい
中山道では、火の見櫓をずいぶん見ました。 千葉県生まれの私の記憶には火の見櫓はありません。存在は知っていても、意識して見るのは初めてです。 そしてなぜでしょう、「知っている」「懐かしい」と思います。 それはおそらく昔見たモノクロ映画の影響かもしれません。 たとえば空襲やゴジラの来襲から、人々が大八車を曳いて逃げ惑うシーンでは、カンカンという半鐘の音が鳴り響いていたような気がします。 だからある年代以上の日本人の原風景には「火の見櫓」が立っている、と言ってもいいのではないでしょうか。 さて、そんな火の見櫓ですが、仰ぎ見て、はたしてこれは今でも機能しているのか、という素朴な疑問が湧いてきます。 実際、多くの火の見櫓から半鐘が取り払われて、替わりにスピーカーが付けられています。なかには中途半端に半鐘を櫓の途中に移動させている櫓もあります。 まあ、これも時代の趨勢といえば趨勢で、はっきり言って人力で鐘を叩くよりも、サイレンのほうが確実に遠くに届かせることができます。
虫屋流に火の見櫓を分類してみた
火の見櫓のデザインですが、ほとんど同じです。 金属の屋根から傘の骨のようなものが張り出していますが、一様に先がくるっと曲げられています。そして頂上には風見鶏のような、大きい矢印の飾りが付いていることもあります。 全体で見ると、かなりメルヘンチックで、影絵作家の藤城清治氏の作品を見るようです。 なんともほのぼのとして、本来の役割から外れて、町のオブジェとして愛されているようです。 ほとんど似たようなデザインですが、それでもよく見ると地域ごとに微妙な差異はあります。 このあたりが「なんちゃって虫屋」の本領発揮なのですが、同じ昆虫の種でも場所によって微妙に模様が違うのです。それを地理的変異といいます。 中山道歩きは、火の見櫓の地理的変異をウオッチするのに適した街道なのです。東京から京都方面に向かうと、おおよそ次のような変異が見えます。 ・火の見櫓の地理的変異 8-4型 4-4型 簡易型 3-3型 6-3型 ◆8-4型 大まかに言うと埼玉県の火の見櫓は屋根は八角形で、四本脚(8-4型)。そして背の高い紳士的なものが多い。 火の見櫓 深谷宿(埼玉県)埼玉県に多く、長野県の一部にもあります(群馬には火の見櫓を発見できず)。屋根が八角形の4本脚なので、8-4型と命名。 ◆4-4型 長野県では塩名田(しおなた)宿あたりから屋根は四角形、四本脚が多い(4-4型)。少し低い気がする。 ◆簡易型 和田宿(長野県)一本脚の簡易型。それでも半鐘は残しているところが律儀。 ◆3-3型 同じ長野県でもは下諏訪(しもすわ)宿では、屋根が三角形で三本脚(3-3型)というものに変化します。 ◆6-3型 塩尻(しおじり)宿より西では屋根が六角形、三本脚(6-3型)となり、これもなかなか姿がいい。