「ヒトのことば」と「動物のことば」はどう違うのか?【今井むつみ×鈴木俊貴対談】
■人間の言語だけの特徴とは? 今井 わかりました。ただ言語の定義について伺いたいことはもっとあって、人間の言葉はそのほとんどが多義的であるのも特徴だと思うんです。「どうも」という言葉はあいさつだったり謝罪だったり否定だったり、複数の意味を持っていますよね。 でも、言語以外の記号はそうではありません。狼煙(のろし)の意味は「敵が来たぞ」だし、ボクシングの試合でタオルを投げ込んだら「降参です」みたいに、記号と意味が一対一で対応しています。 鈴木 確かに。 今井 そういう多義性が人間の言語にあるのは、どんどん意味が広がったり変化したりする拡張性や柔軟性があるからだと思うんですが、シジュウカラの鳴き声はどうですか? 鈴木 ありますね。先ほど言ったように、天敵に対して発する鳴き声を、僕という新しい対象に応用したりします。そういう事実の蓄積は、人間の枠組みに押し込める飼育下での研究ではなく、野外での研究にたくさんあります。 今井 なるほど。では、体系性についてはどうでしょう? 人間の言語の特徴のひとつは、強い体系性があることだと思うんです。 鈴木 体系性? 今井 人間の言葉は非常に複雑なネットワークになっていますよね。例えば「色」という概念の下位概念として「赤」「青」「黄」がある、というふうに階層性があったり、対比とか対義という関係があったり。そういう強固なネットワークがあるせいで、人間の言語ではしばしば、ある言葉の定義が、現実の物事とは別に、他の言葉との関係によってのみ定義されることがあります。 例えば色についての語彙がそう。人間の目や脳のつくりは共通しているのに青と緑を区別する言語とそうでない言語があるのは、ある言語における色の定義は、現実の電磁波の波長ではなく、その言語での他の色の定義との関係で決まるからだと思う。そういうことはシジュウカラでもありますか? 鈴木 それは......確かに知られていないですね。うーん、なぜだろう? ■動物は「対称性推論」をするか? 今井 私はやはり、人間の言語は他の動物の鳴き声と比べてかなり特殊だと思っています。『言語の本質』(秋田喜美氏との共著、中公新書)にも書きましたが、人間の幼児は言語を習得するときに、論理的には正しくない、飛躍のある推論をするんですね。それを「アブダクション推論」と呼びます。 アブダクション推論の有名な例は、目も見えず耳も聞こえなかったヘレン・ケラーが言葉を覚えたことです。 幼い彼女の教師だったサリバン先生は、なんとかヘレンに言語の存在を伝えようと、モノを触らせたり行為をするのと同時にヘレンの手のひらにそのものごとの字を綴り続けました。 そしてヘレンはある日、サリバン先生がヘレンの手に水を浴びせながら「Water」と指で綴った瞬間に、言語を理解します。ヘレンは後に「すべてのモノに名前があることを理解した」と振り返っていますが、これは論理的には飛躍ですよね。 鈴木 そうですね。 今井 そして、それはほぼ人間だけに固有の能力なんです。アブダクション推論のひとつに「対称性推論」というものがあります。これは、「赤くてツルツルした果実→リンゴ」という対応関係から「リンゴ→赤くてツルツルした果実」と結論する推論のことです。私たち人間にとっては当たり前ですよね。対称性推論ができないとモノと名との関係が築けないから、言語を身につけることができません。 しかし、実はこれは論理的には正しくないんです。「赤くてツルツルした果実→リンゴ」という前提から「リンゴ→赤くてツルツルした果実」と結論づけるのは飛躍です。なぜなら、「赤くてツルツルした果実」がすべて「リンゴ」でも、「リンゴ」がすべて「赤くてツルツルした果実」だとは限らないから。人間は論理的な飛躍によって言語を身につけます。 そして、この対称性推論は人間しかできません。動物に対称性推論の能力があるかどうかは40年以上、さまざまな種を対象に研究が続けられてきたのですが、実験に問題があった可能性があるアシカの例を除いて、ほぼ見つかっていません。 鈴木 はい、ただ僕はそれも、それぞれの実験に問題があった可能性は否定できないと思うんです。 今井 うーん、ただこのテーマについては世界中の研究者が長年かけて多くの研究をしてきたので、覆すのは難しいかな......。 鈴木 でも、今井先生も実験をしたチンパンジーのクロエはどうですか? 今井 そう、クロエは例外でしたね。