「ヒトのことば」と「動物のことば」はどう違うのか?【今井むつみ×鈴木俊貴対談】
■推論をする人間の子ども 鈴木 人間がずっと言葉を使う能力はヒトに固有のものだと思いこんできたせいで、動物の言葉の研究はおろそかになってきました。 だけど、僕が見つけたようにシジュウカラもちゃんと鳴き声に「ヘビ」や「警戒しろ」と言った意味を持たせているし、しかもそれらを文法に沿って組み合わせている。それでも多くの研究者は動物の鳴き声を「言葉」と呼ぶことに及び腰なんですよ。 今井 うーん、私は及び腰というわけではないけれど、「言葉」の定義についてはちょっとお話をしたいかな。例えば、人間の言葉は必ず「一般化」が起こるんですね。固有名詞以外は一般化するのが人間の言葉の特徴です。 親が幼い子どもに対して、黒い猫を指さして「ネコだよ」と言ったとしますね。でも子どもの立場からすると、ネコという言葉をどこまで一般化して他の個体に当てはめればいいのかがわかりません。毛むくじゃらで四本脚で歩く存在はすべて「ネコ」かもしれないし、あるいは黒いモノが全部「ネコ」でもおかしくない。 鈴木 確かにそうですね。 今井 しかし、子どもは間違いを繰り返しつつ推論を重ね、最終的には大人が「ネコ」と呼んでいる範囲がネコなんだと正確に理解します。犬を「ネコ」と呼んでしまってもよさそうなものだけれど、そうはならない。 動物でもそういうことはありますか? 鈴木 例えばアフリカに住むベルベットモンキーというサルでは、似たようなことが確認されています。ベルベットモンキーの大人は、天敵であるタカに対してだけ特定の警戒声を出すんですが、子どものベルベットモンキーはその警戒声を、タカ以外の鳥にも発してしまうんですね。これは今井先生のおっしゃる、人間の子どもの推論の失敗に近いんじゃないでしょうか。 あるいはシジュウカラだと、巣を襲うネコやカラスに対して「ピーツピ」という警戒声を発しますが、僕が巣を調べているとやっぱりそう鳴くんです。僕はネコやカラスとはまったく姿形が違うので、これは一般化だと思います。 今井 そうですねえ......。 ■「できない」ことを証明するのは難しい 鈴木 これは一般化の問題に限らないんですが、人間と他の動物を比べるときに強く意識しないといけないのは、「〇〇できる」ことを示すのは難しくないけれど、「〇〇できない」ことを示すのはとても難しいということです。 たとえば、鏡を見せて、そこに映った像を自分だと認識できるかどうか確かめる「ミラーテスト」というものがありますが、長年、多くの動物はミラーテストに合格できないから人間のような自我がないんだ、と思いこまれてきました。しかし、それはミラーテストのやり方がまずかった可能性があると思う。一例を挙げると、大阪公立大学の幸田正典先生はテストの手法を工夫することで、今まではミラーテストをパスできなかった小さな魚も実は鏡に映った自分を認識できることを示しました。 今井 なるほど。 鈴木 そもそも自然界には鏡なんてないですから、動物たちが鏡を見る機会はありません。自分を映すものがあるとしたら水面くらいなので、動物たちにとってのミラーテストは、かなり特殊なものになってしまう。 それに、すべての動物が自己認知を視覚でやっているという保証もないですよね。たまたま人間がそうであるだけです。犬はミラーテストに合格できないとされていますが、かれらは嗅覚優位の世界に生きていますから、視覚ではなくて匂いで自己認知している可能性は否定できないと思う。 ともかく、人間の枠組みを前提に動物の認知能力を測ろうとしたのが今までの動物心理学の失敗だと思っています。動物たちには「ない」と思われている知的な能力も、ちゃんと調べると「ある」ケースは実は多いんじゃないか。僕がシジュウカラの文法を見つけたように。