国公立大学・公的機関の研究開発における贈収賄と「不器用な刑事司法」
本記事は、 西村あさひ が発行する『N&Aニューズレター(2024/10/31号)』を転載したものです。※本ニューズレターは法的助言を目的とするものではなく、個別の案件については当該案件の個別の状況に応じ、日本法または現地法弁護士の適切な助言を求めて頂く必要があります。また、本稿に記載の見解は執筆担当者の個人的見解であり、西村あさひまたは当事務所のクライアントの見解ではありません。
I 国公立大学・公的機関の研究開発における贈収賄と「不器用な刑事司法」
執筆者:木目田 裕 1. 本稿の目的 最近の国公立大学・公的機関の研究開発をめぐる贈収賄事件に関して、2つの裁判例に注目しています。一つは、三重大学医学部に係る贈収賄事件※1であり、国立大学法人の医学部附属病院の麻酔部の副部長等について、「医薬品等の製造販売会社から請託を受け、麻酔部で、その医薬品の使用量を増やすことの対価として、大学に寄附をさせた」として、収賄罪(第三者供賄)の成立が認められた点です。 ※1 名古屋高判令和5年10月23日(TKC25596739)、原審:津地判令和5年1月19日(裁判所ウェブサイト https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/117/092117_hanrei.pdf ) もう一つは、公立病院医師と企業との共同研究(臨床研究)に関する贈収賄事件※2です。同事件では、原審が「当該企業からの現金20万円の交付の趣旨は、私的労務に対する対価の支払いのほか、医学専門家としての不正ではないアドバイスに関し、その知識・経験等に対する敬意・評価として社会通念上許容し得る範囲を超えない謝礼とみる余地がある」として、収賄罪の成立を否定したところ、控訴審は、当該現金20万円について、臨床研究を円滑に実施する上で被告人たる医師が果たす役割に向けられたものであり、被告人の職務行為との対価性があるとして、収賄罪の成立を肯定しました。 ※2 大阪高判令和5年3月9日(判例秘書L07820110)、原審:大阪地判令和4年2月22日(裁判所ウェブサイト https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/074/091074_hanrei.pdf ) いずれも医療関係の研究開発がらみではありますが、これらの裁判例は、医療関係に限らず、広く一般に、企業が国公立大学や公的機関の役職員と共同研究などで接触する場面でも問題になる事案であり、実務上、参考になります。 また、いずれの類型も、官民等の研究開発を萎縮させないようにするため、さらに、公助を補う自助と共助が機能するような社会を構築するという観点から、「不器用な刑事司法」(ある検事総長経験者の言葉の借用です)ではなく、ガイドライン等のソフト・ローで対応すべきであると考えます。 2. 三重大学医学部に係る贈収賄事件 (1) 控訴審である名古屋高裁及び一審津地裁は、次の事案について収賄罪の成立を認めました。 被告人は、国立大学の附属病院において、麻酔部副部長等として、同部における手術の際に使用する医薬品等の計画・準備・実施等の業務を総括して、所属職員を監督する業務に従事する等していたものであるが、平成30年1月頃から同年3月頃にかけて、津市内の病院内医師控え室において、医薬品等の製造販売会社であるA社の従業員から、同社が製造している医薬品Bを麻酔部にて積極的に使用して同社が多数の医薬品Bの納入を病院から受注できるようにしてほしい旨の請託を受け、同社から、同年3月20日、銀行に開設された同大学名義の普通預金口座に現金200万円を振込入金させて、もって被告人の前記職務に関し請託を受けて第三者に賄賂を供与させた。 通常は、公務員自身が賄賂を貰う(収受する)ことが収賄罪に問われるところ、この事件では、公務員自身が業者(本稿では、贈賄者のことを便宜上「業者」と表現することがあります。)から賄賂を貰ったわけではありません。 第三者である大学が業者から寄附を貰ったことが賄賂に当たるとして、公務員が収賄罪(第三者供賄罪、刑法197条の2)に問われたものです※3。 ※3 一般に、「官公庁に対する寄付金は,それが官公庁の組織自体に対して行われるもので,特定の公務員の職務に関して行われるものでない場合には,特定の公務員の職務に対する不法な報酬とはいえないから,賄賂とはならない」と解されています(大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法 第三版 第10巻[第193条~第208条の2]』(青林書院、2021年)80頁〔古田佑紀=渡辺咲子〕)。ただし、「官公庁に対する寄付金の形を採って行われた利益の供与が賄賂に当たるかどうかは,寄付金として・・・(中略)正規の手続が採られているかどうかにかかわらず,特定の公務員の職務行為と対価関係に立つと認められるかどうかによるものであって,受領の手続のいかんにかかわらず,特定の公務員の職務行為と対価関係がなければ賄賂性は認められないし,反対に,対価関係が認められる以上,その収受につき例えば上司の許可があったというだけでは賄賂性は否定されない」とされています(同80頁)。 大雑把に表現すれば、公務員が、その勤務する大学病院において業者から医薬品を多数購入することを頼まれて、その対価(見返りやお礼)として、業者から大学に200万円を寄附してもらった、という事案です。 第三者供賄罪について、刑法197条の2は、「公務員が、その職務に関し、請託を受けて、第三者に賄賂を供与させ、又はその供与の要求若しくは約束をしたときは、五年以下の懲役に処する。」と規定しています。 (2) 典型的な贈収賄では、公務員自身が賄賂を貰います。外形的には公務員以外の第三者が賄賂を受け取った場合であっても、実質的に当該公務員が賄賂を利得しているのであれば、当該公務員自身が賄賂を貰ったと事実認定されます。例えば、公務員の家族や親密な友人等の第三者が、当該公務員から頼まれて、当該公務員のために業者から賄賂を受け取る場合などです。その第三者が受け取った賄賂は、全部または一部が当該公務員に還流されたり、その経済的効果が当該公務員に帰属したりします。当該第三者が事情を知っていれば収賄罪の共犯になることがあります。実質的には当該公務員自身が賄賂を利得しているので、当該公務員が賄賂を収受したと認めてよいわけです。同様のことは外国公務員贈賄などにも当てはまります。外国政府の公務員が業者をしてダミー会社に賄賂を払わせるケースでは、ダミー会社は公務員の財布ないしポケットみたいなもので、実質的に賄賂を利得しているのは公務員となります。 このように、公務員自身の賄賂の収受を立証できる限り、通常の収賄罪(単純収賄罪や受託収賄罪等)で処罰可能であって、特段の支障はないはずなのですが、こうした立証がいつもできるとは限りません。上記の家族や友人等のケースを例にすれば、公務員への賄賂の還流などについて、現金での授受のために物証もなく、賄賂を受け取った家族・友人や公務員本人が口裏あわせをして還流や共謀を否認すれば、その公務員が賄賂を「貰った」との立証を行うことは容易ではありません。そうなると、公務員が第三者に賄賂を受け取らせれば、収賄罪での処罰を回避することができ、汚職し放題になりかねません。 第三者供賄は、こうした脱法的な行為の抑止を主に念頭に置いて昭和16年刑法改正により立法化されることになったものですが、条文上は、必ずしも脱法的な行為だけに処罰範囲が限定されていません。公務員が第三者に利益を提供させることは、それ自体で公務員の職務の公正さやそれに対する社会一般の信頼を害するという考え方によって※4、公務員が全く利益を受けることのない、いわば純然たる「第三者に対する賄賂の供与」も、処罰の対象とされました※5。現に、戦後直後の古いケースですが、警察署長が、業者から「町の組合に寄附金をするから寛大に扱われたい」旨の請託を受けてこれを承諾し、当該業者をして、町及び同組合に寄附金名義で金員を提供させた事案について、第三者供賄が成立するとされた事例などが実例としてあります※6。 ※4 贈収賄罪では、保護法益を「職務の公正とそれに対する社会の信頼」と捉えた上で(信頼保護説)、公務員の職務の公正が害されていなくても、こうした社会の信頼が害される場合には、処罰すべきである等と説明されることがあります。実務的には、こうした説明の仕方はある意味で便利なので、一般的に使われる言い方です。しかし、肝心の「信頼」の中身は曖昧模糊としています。贈収賄罪として処罰すべきだという直感的価値判断が先にあって、その場合には「信頼」が害されているという言い方が後付けでなされているに過ぎないのではないか(つまり、信頼保護説は、結論の先取りに過ぎず、贈収賄罪の成立範囲を画する概念になっていないのではないか)という問題点があります。また、公務員の職務と賄賂が対価関係にあるからこそ社会の信頼が損なわれるのであって、社会の信頼が損なわれることで対価性が認められるものでもありません(以上につき、橋爪隆「賄賂罪における職務関連性について」(法学教室449号(2018年)96、97頁参照)。インサイダー取引規制なども含め、保護法益に「信頼」が含まれる罰則について、「信頼」の中身は何か、深く掘り下げた検討が求められるところです。 ※5 この点、大塚仁ほか編・前掲注3)172頁〔河上和雄=小川新二=佐藤淳〕は、「本来,本条が狙いとした脱法行為の処罰という観点からいけば,第三者は,情を知っていたか否かにかかわらず,当該公務員の支配下ないし影響下にあり,第三者に供与された賄賂が本人に何かの形で戻ることが必要であろうが,本罪は,全く無関係な第三者であっても,犯罪が成立するという構成要件としており,第三者の知情を必要としないばかりか,第三者からの公務員に対する何らの利益の戻りも必要としない」と解説しています。 ※6 最判昭29・8・20刑集8巻8号1256頁 しかし、検察実務家も含めて、学説では、脱法的な行為ではない、純然たる「第三者に対する賄賂の供与」について、どの範囲で第三者供賄罪の成立を認めるかについては、慎重な見解が少なくありません。 例えば、大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法 第三版 第10巻[第193条~第208条の2]』(青林書院、2021年)170、172頁〔河上和雄=小川新二=佐藤淳〕は、 「自分と無関係な福祉団体に寄附させる等全く利益の享受がないことが明白な場合には構成要件的に賄賂と職務行為の対価関係に問題があり(団藤・各論145頁,中森・各論(4版)312頁),賄賂性の認定が困難と思われるし,起訴価値の点でも問題があろう」(170頁)「公務員が,直接その賄賂によって利益を受けないとしても,請託を受けて第三者に賄賂を供与させた事実は,公務員の職務の公正を害し,それに対する社会一般の信頼を失わせるものであることは明らかであり,かかる解釈は正当であろう。ただ,賄賂と職務行為の対価関係が,このような場合に必ずしも明白とはいい難い場合が予想され,賄賂性に問題がある場合もあり,また,純粋に公共性のある寄附のような例では起訴価値にも問題があることが考えられ,事実認定には慎重さが求められよう」(172頁) と述べています。 また、西田典之ほか編『注釈刑法 第2巻 各論(1)』(有斐閣、2016年)792頁〔上嶌一高〕は、学説の状況について、 「公務員と(まったく)無関係の第三者への供与について,本罪が成立するかという問題について,判例は,肯定的である(前掲最判昭29・8・20。大谷・各643頁,板倉・各344頁,西田・各502頁,林・各452頁,斎藤信治・各306頁)。学説には,これを肯定しながら,賄賂と職務行為との対価関係(前掲裁判昭29・8・20は,「第三者に供与した利益がその公務員の職務行為に対する代償たる性質を有することを要するものと解する」)の認定に慎重であるべきである(旧注釈(4)421頁〔内藤〕,大コメ(10)<2版>167頁〔河上=小川〕。団藤・各145頁参照),あるいは,職務行為が賄賂の影響下に置かれたといいうる特別な事情が必要であるという指摘(山口・各625頁以下)がなされ,間接的にも公務員が利益を得ることがないのであれば,利益と職務との間に対価関係があるといえるかは疑問であるとする見解(中森・各312頁。さらに,中山・各558頁,曽根・各324頁,松宮・各497頁),利益が職務行為の対価でなく,単なる条件であるにすぎないときは,本罪は成立しないとする見解(平野・概300頁)が主張される」 と解説しています。 第三者供賄罪の立法経緯や以上で述べた学説実務を反映して、戦後直後はともあれ、近年は、実質的に公務員が賄賂を利得している場合に準じるような事案や脱法的事案を別にすれば、捜査当局は第三者供賄罪の適用には慎重だったように思われます。そうした流れの中で、三重大学医学部事件で第三者供賄罪の適用がなされました。 (3) 三重大学医学部事件では、「被告人による医薬品Cの使用量増加の対価としてなされた、業者による大学への寄附」を第三者供賄として処罰していますが、判決文上は、この大学への寄附について、大学から被告人個人への資金還流やそれに準じた被告人側の利得状況等といった事情は見当たらないように思われます※7。一審、控訴審で主に争点となったのは、請託と寄附との対価性などの点でした。 ※7 なお、同事件で有罪とされた公訴事実の中には、被告人が代表者を務める団体に対する寄附を捉えて第三者供賄罪が成立するとしたものもあります。具体的な事実関係にもよりますが、その事案であれば、被告人が団体代表者として賄賂金を少なくとも一定期間は自由に利用処分し得る立場にあったわけですから、被告人自身の利得に準じるような関係があるので、第三者供賄罪の適用も違和感なくあり得るところです。 この点、一審判決の量刑の理由は、本件のいわば「事件としての筋」について 「被告人は、特定の医薬品の使用量を増加させる見返りとして、製薬会社から200万円という比較的高額の寄附をさせている。〔1〕贈賄側にも前記医薬品の使用量増加によるメリットがあったことから、被告人が寄附金を強く要求したとまでは認められない点や、〔2〕寄附金を求めた目的が、専ら私利私欲のためではなく、被告人の所属する麻酔部のための費用を調達するためであった点、〔3〕(少なくとも被告人の主観においては)医学的な合理性が否定されない範囲で処方を増大させていく方針であったことまで否定することはできない点を考慮しても、製薬会社からの寄附金を獲得するためになりふり構わず処方量の増大に突き進んだことは異常というほかなく、職務の公正さやそれに対する社会の信頼を害した程度は大きいといわざるを得ない。」 と述べており、「寄附金を求めた目的が、専ら私利私欲のためではなく、被告人の所属する麻酔部のための費用を調達するためであった」としています。 大学への寄附の少なくとも一部が麻酔部には還流されることにはなっていたようですが、そうであっても、判決文上は、それで被告人個人が利得をするような関係にあったのではないように思われます。 (4) 三重大学医学部事件が「第三者たる大学への寄附」を捉えて第三者供賄罪の成立を認めたことの影響は少なくないと思われます。 例えば、企業が国公立大学の研究室と共同研究することになり、その研究資金を大学に支払ったとします。その場合、企業から、当該研究室に所属する大学職員に対し、「その職務に関する共同研究の遂行の依頼」といったような請託は容易も認められるでしょう。研究資金は、まさに「研究」資金ですから、大学研究室との共同研究に対する対価性が問題になります。この研究資金が実費そのものであれば、通常は、大学職員の職務行為との対価性がありませんから、第三者供賄罪に該当しません。支払った研究資金のうち実費を超える部分があれば、少なくとも実費超過部分が賄賂とされ※8、第三者供賄罪が成立する可能性があります。 ※8 本題でなく、煩瑣になるので、厳密な解説は省略しますが、研究資金における実費部分が不可分である等の事情があれば、研究資金全体が賄賂と認定されることになります。 また、国公立大学の職員が共同研究を行うことの条件として、企業から、当該大学職員が所属する研究室や、大学の別の研究プロジェクトに対する寄附が行われると、三重大学医学部事件に従えば、第三者供賄罪に該当する可能性があります。 あるいは、企業が工場を建設する際に、立地自治体から、環境規制その他の建設に関係する許認可等を得ることと引き換えに、道路整備その他の資金を当該立地自治体に寄附する、としましょう。この場合も、三重大学医学部事件に従えば、第三者供賄罪に該当する可能性があります。 三重大学医学部事件における第三者供賄罪の適用には、以上で述べた問題点があります。グルーバルな競争環境の中で産学共同の研究開発が従来以上に強く必要とされています。また、日本では、人口減少や財政上の制約から、公助を補う自助と共助が機能するような環境整備が必要であるとされています。その中で、これでは「刑法残って、国滅ぶ」になりかねず、第三者供賄罪は、今日の時代に適応できなくなっているのではないかと思います。 だからこそ、第三者供賄罪については、(2)で述べたとおり、実務家からも「純粋に公共性のある寄附のような例では起訴価値にも問題があることが考えられ,事実認定には慎重さが求められよう」との指摘がなされ、学説でも、同罪の成立範囲を合理的に限定するための解釈論が展開されてきました。 よって、第三者供賄罪については、廃止するか、学説の議論を反映して処罰範囲を明確に限定する法改正を行う、あるいは、官民の共同研究等を適用対象から明示的に除外するのがよいと考えます。 とある検事総長経験者が話していたことですが、刑事司法は、刑罰しか執行手段がないが故に不器用なものです。官民の共同研究等における倫理的な問題や利益相反の問題等は、刑事司法で規律するには適しないものであり、ガイドラインや公的研究資金の割当停止のようなソフト・ローで対応すべき分野であると考えます※9。 ※9 なお、一般論として、刑罰の成立範囲が過度に広汎となるという文脈や、検察官の訴追がバランスを欠いているという文脈で往々にして問題になることですが、検察官の訴追裁量権の合理的行使に期待するというのは「検察官の善意に依存せよ」と言うに等しく、新たな公訴権濫用論など、検察の訴追裁量の行使を統制・モニタリングする仕組みを構築する必要があるように思われます。この点につき、拙稿「検察官および検察審査会の訴追裁量(起訴する判断)をチェックする法理の必要性」弊事務所・ 本ニューズレター2021年3月31日号 1頁以下参照。 3. 研究者個人に対する報酬支払い (1) これは、公立病院医師が、企業との共同研究(臨床研究)に関し、当該企業から現金20万円の交付を受けた事案です。一審大阪地裁は、医師が受領した20万円について、医師の「私的労務に対する対価の支払いのほか、医学専門家としての不正ではないアドバイスに関し、その知識・経験等に対する敬意・評価として社会通念上許容し得る範囲を超えない謝礼とみる余地がある」として、収賄罪の成立を否定しました。これに対して、控訴審である大阪高裁は、当該20万円の趣旨について、当該病院で臨床研究を円滑に実施する上で被告人たる医師が果たす役割に向けられたものであり、被告人の職務行為との対価性があるとして、収賄罪の成立を肯定しました。 一審判決と控訴審判決の違いは、賄賂とされた現金20万円の趣旨について事実認定を異にしている点です。 (2) 一般に、学術的な調査・研究を職務とする公務員(例えば、国公立大学の教授、公的機関の研究員、国公立病院の医師等)が、当該調査・研究という職務行為に関して、第三者から金品の供与を受ける場合、事案によっては、収賄罪が成立しないこともあるとされています。 この点につき、文献では次のとおり解説されています。なお、ご興味がある方は、別紙で引用した文献についてもご覧ください。 ○城典子「市立病院と民間企業の共同研究に当たり、同病院の医師に対して供与された金員の賄賂該当性が認められた事案」研修913号(2024年)20頁 「学術的な調査・研究を内容とする職務は、その性質上、一般的な職務と比べて専門性が高いため、従事する者の知識、能力や経験といった個人的・属人的な要素の影響による成果等の差が顕著となる傾向にある(例えば「○○教授が独自に開発している手法及び機器以外によっては、有意義な研究の成果は見込めない。」などといった状況は、容易に想定できよう。)。そのため、そのような学術的な調査・研究を内容とする職務に関してなされる金品の供与は、当該職務の成果等に影響を及ぼす前記のような個人的・属人的要素に対する敬意や評価を示す趣旨によるものである場合があり得る。そして、そのような趣旨による金品の供与は、一般的な職務に関してなされる金品の供与と異なり、それによって直ちに賄賂罪の保護法益である当該職務の公正又は職務の公正に対する社会の信頼を害するものとは評価できないと見る余地がある。また、学術的な調査・研究を職務とする公務員が、民間企業等からの個人的な依頼により、公務としてではなく、いわば個人的なアルバイトとして、当該調査・研究分野に属する事項について協力や助言を行い、これに対する金品の供与を受ける場合についても、(いわゆる職務専念義務や公務員倫理との関係で問題が生じ得ることを別とすれば、)当該金品の供与は、それによって直ちに賄賂罪の保護法益である当該職務の公正又は職務の公正に対する社会の信頼を害するものとは評価できないと見る余地もある。」【下線は筆者による】 ○大塚仁他ほか編『大コンメンタール刑法 第三版 第10巻[第193条~第208条の2]』(青林書院、2021年)83頁〔古田佑紀=渡辺咲子〕 「報酬については,調査等の内容が公務員の研究テーマの一部をなし,あるいはこれと密接な関係を有する場合には職務との対価性又は少なくとも職務密接関連行為との対価性を否定することはできないように思われる。しかしながら,このような行為が一般に賄賂罪に該当するとするのは,学問的な調査研究の性格からして相当ではない。そこで,この問題に関しては,当該報酬が「不法な」報酬といえるかどうかが問題となる。不法な報酬に当たる場合としては,例えばあえて実際に反する調査結果を出すことを意図して調査を行い,これに対する報酬を受領するような場合が考えられる。しかし,その調査・研究が学問的に正当な内容・方法のものである限り,これに対する合理的な範囲の報酬を不法な報酬ということは困難と思われる。」「なお,このような研究を引き受け,実施してもらうこと自体に対する謝礼は,研究自体に対する報酬ではなく,管理事務にかかわる事柄なので,研究を引き受け,実施するかどうかについての事務を取り扱っている者に対するこのような謝礼は,賄賂に該当すると考えられる。」【下線は筆者による】※10 ※10 大阪高判令和2年6月17日判例時報2559号60頁は、企業の役職員が、共同研究実施先の国立大学教授に対し、技術指導料として合計194万円を送金した事案について、(1)大学教授の技術指導には、大学教授の職務である学生らに対する指導と、個人契約に基づく民間企業に対する私的な指導とが併存しており、技術指導料と当該職務との対価関係に疑問がある旨、(2)仮に職務密接関連行為等として対価性が認められるとしても、大学教授をはじめとする研究職公務員の職務の特殊性に鑑み、実体のある職務外活動に関し適法な趣旨で供与された金員について対価関係のみで直ちに賄賂と認めるのは相当ではなく、賄賂であることを認定するには「報酬の不正さを基礎付ける事情が、対価性とは別に認められることが必要である」として、本件技術指導料の賄賂性を否定して、贈賄罪に問われた企業の役職員を無罪としました。本文記載の大コメの見解と同旨と思われます。 (3) 以上のとおり、企業が、国公立大学や公的機関の職員等に対して、その専門的な知識・経験等を踏まえた、私的指導の報酬を支払うことや、調査研究の報酬を支払うことは、直ちには賄賂に該当しないという見解が少なくありません。 そもそも、私的指導や調査研究の報酬の支払の適法性(贈収賄罪に問われるか否か)について、国公立大学や公的機関の職員等と私立大学や私的機関との間で、決定的に大きな差異を設けるほどの合理的理由があるのかどうかも、よく分からないところです。 ただ、問題は、具体的な事案における判断となります。前述した大阪高裁判決と大阪地裁判決の違いのように事実認定次第であり、そうなると、私的指導や調査研究の報酬の支払について、企業としては保守的に対応せざるを得ません。 第三者供賄罪についても述べたように、産学共同の研究開発の促進や、公助を補う自助と共助が機能するような環境整備という観点からは、官民の共同研究等における倫理的な問題や利益相反の問題等は、「不器用な刑事司法」ではなく、ガイドラインや公的研究資金の割当停止のようなソフト・ローで対応すべき分野であると考えます。 【別紙】 ○川端博ほか編『裁判例コンメンタール刑法 第2巻』(立花書房、2008年)400、402頁〔小川新二〕 「公務員のアルバイト的行為のうち、公立学校の教員が勤務時間外に飲食店で接客等に従事するように、本来の職務とは全く関係がない場合は、報酬を得ても収賄罪が成立する余地はない。また、公立学校の教員が自己の学校とはまったく関係のない児童の家庭教師を行うように、本来の職務を行う上で習得した専門知識や経験を生かした行為ではあるが、その相手方が本来の職務とは全く関係ない場合も、職務上知った秘密を教示するなど特別の事情がある場合には別であるが、一般的な知識・経験の活用にとどまるのであれば、通常は収賄罪が成立することはないであろう。問題となるのは、相手方が本来の職務と関連を有するなど、アルバイト的行為が本来の職務と何らかの関連を有する場合である。このような場合は、当該公務員のアルバイト的行為は、それ自体職務と関連するばかりか、相手方としては、その後の審査・検査等を円滑に受けられるなど、本来の職務の遂行に関する利便を期待でき、そのような期待をも込めて報酬を支払うことが少なくなく、そのような場合には、アルバイト行為が本来の職務行為あるいはこれに密接に関連する行為と認められることになる。例えば、税務署資産税係がその管轄権限に属する納税関係者の依頼によって納税申告書を作成する行為は、税務署員としての申告指導の面も有しており、勤務時間外に自宅でなされたとしても、職務の行使そのものである(東京高判昭42・5・26判タ213・194)。また、市建設局指導部審査課特殊建設係長ないしは構造審査係長として同市内における大規模建築物の確認申請の審査等の職務を行う者が、審査の重要な対象となる構造計算書を、審査を受ける側から頼まれて自ら作成してやる等の行為は、職務と密接な関連を有する準職務行為と解される(福岡高判昭55・9・25高検速報1280)。」(400頁) 「もとより、職務行為に当たるか否かは、具体的事案を前提とした個別判断であり、アルバイト的行為の相手方が本来の職務に関する者であったものの、その職務行為性が否定された事例もある。最判昭50・4・24判時774・119は、国立大学附属中学校の教員が、生徒の父兄らの依頼や要望に応えて宿直時間や私生活上の時間を割いて学習指導など学習面生活面の指導訓練を行い、その謝礼として、2名の生徒の父兄2名から、卒業時に額面各1万円のギフト・チェック2通の供与を受けた事案・・・(中略)について、教育指導の内容は社会一般が通常教員に対して期待する以上のものがあったのではないかと考えられること、右教育指導は児童生徒に対する私的な人間的情愛と教育に対する格別の愛情の発露の結果ともみられることなどを理由に、右教育指導を職務行為と速断することを疑問とし、私的な学習上生活上の指導に対する感謝や被告人に対する敬慕の念に発する儀礼の趣旨と思われる余地もあるとして、収賄罪の成立を認めた原判決を破棄している。」(402頁)【下線は筆者による】 ○西田典之ほか編『注釈刑法 第2巻 各論(1)』(有斐閣、2016年)781頁〔上嶌一高〕 「国立大学医学部教授が,新薬開発の共同研究を実施するに当たり金員を受け取った事案について,教育公務員である研究者が,特定の事項について研究活動を行い,その専門知識を民間入(企業)に提供し,謝礼として金員の供与を受けたような場合については、その額が教育公務員のいわば余分に費やした労力などに対する礼として社会通念上相当と認められる範囲の報酬にとどまるようなときなどには,一応理由のある職務外の私的活動に対する報酬として賄賂性が否定されるが,産学協同に関する受託研究制度,受託研究員制度や民間等との共同研究制度において,国立大学の教授個人が共同研究の報酬を受けることは基本的に予定されていないこと,被告人は,本件各共同研究の実施に当たりその対価として各製薬会社からかなり高額な奨学寄附金を大学に納入してもらっているうえ,A製薬との共同研究においては,個人的な報酬として講師料を受け取っており,本件各金額は,奨学寄附金や講師料の金額と比較してみても著しく高額であること等から、各金員の供与は,社会的相当性の範囲を逸脱した賄賂であるとした例がある(前掲名古屋地判平11・3・31。ほかに,国立大学医学部助教授で,同学部附属病院の中央放射線部部長であった被告人が,大型高額医療用機器の導入に当たり,その販売業者から433万円余の価額の利益の供与を受けたことについて、学術調査の費用および報酬であるという被告人の弁解を排斥して,収賄罪の成立を認めた東京地判平5・6・4判タ843号276頁等がある)。」【下線は筆者による※11】 ※11 引用部分記載の名古屋地判平成11年3月31日(判例時報1676号155頁)について、門田成人「治験をめぐる贈収賄事件」別冊ジュリスト183号(2006年)111頁は、次の指摘をしています。「企業の研究会議における研究成果の報告等の助言・指導につき,本判決は,新薬開発という目的の同一性に基づく受託研究生への教育指導との密接不可分性と対価関係の明白性から,職務密接関連行為であるとした。しかし,対価性は職務行為と不正な利益との関係であって,職務行為の判断要素にこれを加えるのは循環論法に陥る。また目的の同一性のゆえに行為の性質を無視するのも,職務性の判断が本来法令解釈であることからすれば妥当ではない。ここでの助言・指導は,自らその場に足を運びその専門知識を披見するもので,より直截に企業の経済活動にかかわるから,本来の職務と実質的に同価値とはいいがたい。」「本判決は,「一応理由のある職務外の私的活動に対する報酬」に当たるか否か,すなわち社会的に相当な謝礼か否かの判断基準を具体化する,職務外の私的活動に対する報酬の相当性を判断するのであるから,報酬評価の相場から判断すべきであり,本判決が研究者としての個人やその活動の専門性等を指摘しつつ,公務員が全体の奉仕者であることを強調する点および金員の供与方法の不当性を判断資料とする点には疑問がある。」