「地方と比べて便利」だったはずが…東京が「タイパの悪すぎる街」になってしまった最大の理由
「遅刻」が正当化される街
それが冒頭のヨッピー氏が述べる「タイパが悪い」なのだが、東京は人が多過ぎるため、もはや構造的な問題となっている。何しろ時間が読めず、様々な打ち合わせやら集合時間が余裕をもった時間になっているのだ。遅延を見越しているため、より多くの時間を予め用意する必要がある。そして、過密ダイヤと何本もの路線が重なるターミナル駅では、一つの路線で事故があったら他も全部止まる。そうすると、8人の会議で5人が「今、電車が止まっています!」なんてことになり、会議の開始が1時間遅れる。 すると、本来決めるべきことが決まらず「次がありますので……」と途中退出する参加者が出てくる。そうなると決まるものも決まらないため後日新たな会議をすることとなったりもする。つまり、本来は無駄なコストであり迷惑行為である「遅刻」が正当化されるのが東京なのだ。 私の場合、この4年間、ビジネスにおいて「遅刻」は一度もない。着実に予定の時間に着けるのである。「遅刻」の概念は存在しない。必ず予定の時刻に全員が揃っている。遅れる人がいても、それは事前の想定通りの遅れ時間になるので仕事はスムーズに進む。
全世代が認識すべきタイパ
まぁ、これを東京に当てはめるのも無理があるし、誰もが遅刻をしたくないと考えるのは自明。だからこそなんとか急ごうと思ってタクシーに乗るも2車線のうち1車線は事故で通行できず、結局電車の方が早かったりもする。無慈悲にも上がり続けるメーターを見続け、ストレスが溜まるだけだ。この4年間、渋滞を経験したのは、花火大会の日だけだった。 確かに東京には仕事がある。だが、とにかく何をするにも長時間待たされ、また他人のイレギュラーな遅刻に時間を奪われ、とにかくタイパが悪くてしょうがない。人間が多過ぎることがもたらすデメリットを感じる人は、案外東京脱出した方が幸せになれるかもしれない。 イライラする時間が多ければ多いほど、幸せ度合いは減る。東京の「行列」はかつて待機児童問題でも存在した。これからますます高齢者が増える時代になっていくが、将来は老人ホームの入居申請でも順番待ちが発生し、やきもきする可能性がある。「タイパ」は若者が使いがちな概念で、中高年世代は遠ざけがちな考え方かもしれない。しかし、40代のヨッピー氏が「東京は子育てするにあたり、タイパが悪い」と喝破したことで、その概念の重要性を私は改めて認識することができた。タイパは全世代が意識し、どこに住むかを考えるべきテーマではなかろうか。 中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう) 1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。 デイリー新潮編集部
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