「武者小路実篤」が私財をつぎ込んだ“理想郷”が「限界集落」に…残った村民は3人だけで「現状維持が精いっぱい」
100年以上続いた実験的なコミュニティ
私は18年前の取材を終えて雑誌の記事にした後、村の住民に求められて機関紙「新しき村」に雑文を寄せたことがある。内容はうろ覚えだったのだが、「美術館」の蔵書にバックナンバーがあったので目を通してみると、最後の方に「『新しき村』は、存在していること自体に意味がある」といった記述があった。 確かにあの時、個々人が自立しつつ、他者と協調もしながら生活を営むという試みには共感する部分もあり、懐かしさを感じたものだった。今もそれは変わらない。都市生活者から見れば異郷ではあるにせよ、宗教色やイデオロギー色があるわけでもなく、閉鎖的で浮世離れした共同体というわけでもない。往時には村周辺の人々が行き来し、村内で開かれる祭りに参加したり、村内の農作業を手伝ったりする姿もあったのだ。 だが、如何せん村内在住者が3人では、将来の展望がなかなか開けないのではないか。100年以上続いた実験的なコミュニティが、長きにわたって人が住む地区として存続できるのか、実篤の功績を伝える記念公園のような形になっていくのか、または役割を終えて廃村になる運命なのか、大きな岐路に立たされているようだった。 美術館の入り口近くには「龍となれ 雲自づと来たる」と書かれた石碑が立っている。龍のように志を高く持てば、自然と理解者や賛同者が集まってくるという意味だ。画家でもあった実篤は画賛として、色紙に好んでこの言葉を添えていたという。 *** 2006年当時、村の住人は20数名。宮崎県での設立当時は、武者小路実篤とその妻・房子らをめぐる色恋模様も展開していたという。第1回【“奔放すぎる妻”が次々に若い男と「恋仲」に…文豪・武者小路実篤の理想郷「新しき村」で女たちが織り成した“複雑な人間関係”】では、理想郷の中に存在した「複雑な人間関係」について書かれた、2006年の記事を再録している。
菊地正憲(きくちまさのり) ジャーナリスト。1965年北海道生まれ。國學院大學文学部卒業。北海道新聞記者を経て、2003年にフリージャーナリストに。徹底した現場取材力で政治・経済から歴史、社会現象まで幅広いジャンルの記事を手がける。著書に『速記者たちの国会秘録』など。 デイリー新潮編集部
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