「武者小路実篤」が私財をつぎ込んだ“理想郷”が「限界集落」に…残った村民は3人だけで「現状維持が精いっぱい」
誰でもよいというわけではありません
実際に村内を巡ってみると、北側に立ち並んでいた鶏舎周辺は、雑草が生い茂り荒れ果てた状態になっている。青々とした田んぼはまだかなり残っているが、人影はまったくない。使われていない様子の井戸の近くには、空き家がいくつか並んでいる。村の会合やイベントのために住民が集まる公会堂も、明らかに老朽化が進んでいる。村内には実篤の言葉が刻まれた石碑がいくつかあり、周囲にはヒノキやウメの林が見えた。 「ピーク時には60人以上の住民が住んでいたのですがね。その時は高校生以下の子供も10人ぐらいいました。でも、みんな村を出たきり、帰ってくることはなかった。農業をやりたがる若者はあまりいませんから」 こう率直に現状を明かす吉原さんだが、村民の募集には難しさを感じているという。 「人を呼ばなければいけないのは分かっています。私は、例えば、村に住みながら、外に働きに行けるようにしてもいいのではないかと思っています。ただ、村のきまりも当然あって、誰でもよいというわけではありません。よほどの信念がないと続かない面もあります。こちらとしては、自然の中で、先生が唱えた『自立した住民が分け隔てなく、調和して暮らす』という精神を理解して暮らす、その良さを分かってくれる人が現れてほしいと願っているのですが……」
存続の方策を皆で考えていかなければ
昭和の一時期には、茶畑のある場所の近くで都電の旧車両を利用した幼稚園も運営されており、近隣地域の子供も受け入れていた。だが、村内の子供が減ったことに伴い40年前に廃園になっている。 吉原さんと面会した村内の「武者小路実篤記念 新しき村美術館」が開館したのは、まだ子供の歓声が聞こえていた1980年に遡る。実篤が手掛けた絵や書物などが多数、展示されているが、今では訪れる人は1日1~2人程度だという。一般財団法人「新しき村」の理事の一人は、次のように現状を嘆いた。 「公益法人化の話も、村内住民を増やす計画も、円滑に進んでいません。村内会員はおろか、村外会員の考え方もそれぞれ違うので、なかなかまとまりません。一方で、強いリーダーを持たず、一人一人が独立しながら力を合わせて生活するという村の性格上、当然ながら上意下達で決めるわけにもいきません。独立性が強い共同体ですので、行政との連携もなかなか難しい面があります。現状維持が精いっぱいというのが正直なところなのです」 さらに理事は、少子高齢化で住民が極端に減り、村落の存続が危ぶまれる「限界集落」のような状況だと訴えた。 「全国の過疎地同様、やはり高齢化が最大の障害になっています。『年をとって農業の仕事ができなくなると、ほかの村民に迷惑がかかる』と言って離村していくケースが多いのです。ただ、法人としても、村の会員としても、たとえ村民がいなくなっても村自体は末永く残す方針です。今後も存続の方策を皆で考えていかなければなりません」