一橋卒の高学歴ドラァグクイーン・エスムラルダ(52)が明かす、同性愛者を自覚し悩んだ時代「豊富な性体験を赤裸々に話す人がいて…」
ドラァグデビューは大学時代、そして独自路線のクイーンへ
――大学2年の夏まで異性愛者の仮面をかぶっていたエスムさんが、パソコン通信を通じてブルボンヌさんと出会ったことで、ドラァグクイーンデビューに繋がっていくんですね。 エスムラルダ それまでも芝浦の「GOLD」とか西麻布の「YELLOW」とかのクラブで定期的にゲイナイトが行われていて、よく遊びに行っていたんだけど、1994年に、新宿2丁目に「Bar Delight」っていうクラブができたの。 一方で、今も第一線で活躍しているル・ポールというアメリカのドラァグクイーンが出した『スーパーモデル(ユー・ベター・ワーク)』という曲が世界中のクラブシーンで流行してた。そこでブルボンヌさんに「パソコン通信の4周年イベントをDelightでやろう」「私たちもドラァグクイーンをやってみよう!」って言われて、1994年の9月に初めてショーをやりました。 ――それがエスムさんのドラァグクイーン活動のスタートに。 エスムラルダ その頃、映画『プリシラ』(1995年日本公開、ドラァグクイーンたちのロードムービー)とかの影響もあって、ドラァグクイーンという存在が徐々に知られるようになっていって。当初は半年に1回くらいのペースだったけど、96~97年くらいからドラァグクイーンがショーをやるイベントが増えていき、私たちにも「お笑い系のクイーン」として、お呼びがかかるようになっていったの。 写真=鈴木七絵/文藝春秋 一橋大学→脱サラし“女装”の道へ…高学歴ドラァグクイーン(52)が語る、会社員からフリーへの転身と父へのカミングアウト へ続く
市川 はるひ
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