一橋卒の高学歴ドラァグクイーン・エスムラルダ(52)が明かす、同性愛者を自覚し悩んだ時代「豊富な性体験を赤裸々に話す人がいて…」
書籍『ゲイ・リポート』との出会いで動き出した人生
エスムラルダ それから2か月ほど後、書店でたまたま『ゲイ・リポート』って本を見つけたの。「アカー」(旧・動くゲイとレズビアンの会)というグループが出した本で、会員の人のライフヒストリーが載っていたり、「同性愛は決して異常なことではない」ということが書かれていたりする、すごく真面目な本。それを読んで「自分と同じような人がこんなにいるんだ!」って元気付けられた。 実はその1年前、大学1年のときに、「府中青年の家裁判(※)」がらみで、アカーの人たちが法律の授業のゲストスピーカーで来たことがあったんです。だからアカーというグループには馴染みがありました。もっともそのときは、「自分もゲイです」って言う勇気はなかったけれど。 ※1990年、アカーが東京都の公共施設「府中青年の家」を合宿で利用した際、同性愛者の団体であることを理由に他の団体から嫌がらせを受けたうえ、施設側から今後の使用を拒まれたため、1991年に東京都を提訴した事件。1994年に1審、1997年に2審でそれぞれアカーが勝訴した。 ――社会的に戦っている最中の団体だったんですね。
エスムラルダ アカーでは電話相談もやっていたので、勇気を出して電話をかけ、事務所に行ってみました。そこでようやくゲイの友だちがたくさんできたんです。同じような経験をしてきているので分かり合えることも多かったし、何も隠さず、正直に恋バナができる解放感がありました。今まで、どれほど自分が気持ちをおさえつけていたのかがよくわかったんです。 それで勢いづいて、身近な人にカミングアウトし始めました。母と、たまたまそれを聞いていた姉。あとは大学の友だちや、予備校時代の仲のよかった友だちにも話しました。 それから半年くらい後、1993年の春に、ゲイ雑誌の文通欄に同じ大学の子が投稿しているのを見つけました。手紙を送ってみたら、大学内にその人を含め、同世代のゲイの子が4人ほどいるのがわかって。みんなブルボンヌさん(ドラァグクイーン、エッセイスト)がやっていたパソコン通信に参加していたので、その縁で私もブルボンヌさんと知り合い、仲良くなりました。
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