フェラーリとアストンマーティンはEV製造中/マクラーレンはバッテリー技術を待つ【F1を戦う自動車メーカー紹介Vol.3】
世界中で大きな注目を集めるF1には、現在マクラーレン、フェラーリ、メルセデス・ベンツ、ルノー/アルピーヌ、アストンマーティンという5つの自動車メーカーが参戦しており、日本からはホンダがHRC(ホンダ・レーシング)として戦っている。これら以外にも様々なメーカーがF1への参戦を検討していることが報道され、実際に2026年にはアウディ、キャデラック、フォードが加わることが決まっており、人気と自動車メーカーからの注目度の高さが伺える。 【写真】ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカを走行するアストンマーティン・ヴァルキリーAMR-LMH 今回は、F1に関係する自動車メーカーのなかから、フェラーリ、マクラーレン、アストンマーティンというラグジュアリーカーを取り扱う3メーカーの概観と、モータースポーツへの取り組みを紹介する。 ──────────────────────────────── ■フェラーリ ・初参戦:1950年 ・参戦シーズン数:75 ・優勝回数:249 ・タイトル獲得数:16 F1が創設された1950年から参戦し続ける唯一の自動車メーカー。このため通算優勝回数もタイトル獲得数も際だって多い。 創業者のエンツォ・フェラーリは1898年にイタリア・モデナで生まれると、1920年代にはアルファロメオのドライバーとして活躍。当時のアルファロメオは、まさに現在のフェラーリのように超高級で超高性能なスポーツカーを生み出すとともに、モータースポーツ界では最強の存在だった。 エンツォはドライバー活動のかたわら、1929年にスクーデリア・フェラーリを設立。もともとはジェントルマンドライバーのためにレーシングカーのお膳立てをする組織だったが、やがてアルファロメオからレーシングカーの開発まで任されるようになる。こうして1938年にはティーポ158が誕生するが、その前年のレース戦績が芳しくなかったことからエンツォとアルファロメオ上層部の間に軋轢が起こり、本来はエンツォのもとで行われるはずだったティーポ158の生産をミラノのアルファロメオ本社工場に移管するなど、その関係は次第に悪化。1939年9月には、まだ契約中だったエンツォを解雇する事態となる。 このときアルファロメオとエンツォが結んだ合意書には、フェラーリの名前を用いたレース活動や自動車の生産を4年間にわたって禁じる条項が盛り込まれていた。そこでエンツォは1939年に新会社アウト・アヴィオ・コストルツィオーニを設立。815という名のレーシングカーを生み出す。ただし、間もなく第二次世界大戦が勃発。戦禍により工場は破壊されたものの、フェラーリは諦めることなく復興に努めると、1947年にはフェラーリの名を冠した初のモデル『125S』が完成。自動車メーカーとしての正式なスタートを切った。 フェラーリはV12エンジンを積むレーシングカーやスポーツカーを矢継ぎ早にリリースすると、当時人気だったミッレミリアやタルガフローリオといったレースで数々の成功を収める。そして1950年にF1が創設されると満を持して参戦。しかし、初年度は自ら生み出したアルファロメオ・ティーポ158が全戦全勝(インディ500を除く)を果たしたほか、翌年の前半戦も改良版のティーポ159で戦うアルファロメオに歯が立たなかった。しかし、マシンを125F1から375F1にスイッチするとフェラーリは善戦。1951年イギリスGPで記念すべき初優勝を遂げた。 初のタイトル獲得は1.5リッター時代初年度の1961年で、ドライバーのフィル・ヒルが史上初のアメリカ人F1チャンピオンとなったこともあり、フェラーリはダブル・タイトルを手に入れた。 その後もフェラーリはF1参戦を続けるが、内部紛争などの影響もあって成績の浮き沈みは激しく、コンストラクターズ・タイトルが創設された1958年からの40年間でチャンピオンに輝いたのは8回に過ぎなかった。しかし、チーム代表だったジャン・トッドはドライバーのミハエル・シューマッハー、デザイナーのロリー・バーン、テクニカルディレクターのロス・ブラウンとともにフェラーリの黄金期を築き上げ、1999年からコンストラクターズ・タイトル6連覇という偉業を成し遂げた。 フェラーリはF1だけでなくスポーツカーレースにも熱心に参戦。2024年にはル・マン24時間で通算11勝目を挙げている。 量産車では引き続き超高級で超高性能なスーパースポーツカーのみを作り続けてきたが、2023年には初のSUV『プロサングエ』をリリース。これも大ヒット作となるなど、ラグジュアリーカー・クラスで他を圧する大成功を収めている。 また、2013年には初のハイブリッドカー『ラ・フェラーリ』を発売したほか、2024年にはeビルディングと呼ばれる新たな施設を竣工。2025年に発表される初の電気自動車に向けた準備も着々と進めている。 ■マクラーレン ・初参戦:1966年 ・参戦シーズン数:59 ・優勝回数:189 ・タイトル獲得数:9 創設者のブルース・マクラーレンはニュージーランド出身のレーシングドライバー。1959年にクーパーからF1にデビューし、1965年まで在籍したが、1963年にはブルース・マクラーレン・モーター・レーシング社を設立。当初はクーパーをベースにしてタスマン・シリーズに参戦する車両を生み出したり、Can-Amと呼ばれるスポーツカーレース・シリーズ用のマシン開発などを行っていたが、1966年にオリジナルのF1シャシーを完成させると、ブルース自身もマクラーレン・チームに移籍し、新たな道を歩み始める。1968年のF1ベルギーGPでブルースはマクラーレン・チームでの初優勝を果たし、ジャック・ブラムに続くふたり目の「自らの名を冠したマシンで優勝したF1ドライバー」として歴史にその名を残すことになった。 ブルースはドライバーとしてだけでなく、エンジニアとしても才能を発揮。また、レーシングカーにくわえてロードカーを生み出すことも夢見ていた。そこで、Can-AmカーのM6Bをベースにしたロードカー『M6 GT』を1970年に試作。自身の足としても活用していたが、ブルース自身が同年6月2日にM8Dのテスト走行中に事故死したことからロードカー・プログラムはキャンセル。結果的にマクラーレンの名を冠したロードカーの誕生は、1992年発表の『マクラーレンF1』まで待たなければならなかった。 ブルースの死後もマクラーレン・チームは存続し、1974年に初めてコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたものの、1980年にはブラバムの元メカニックだったロン・デニスがスポンサーであるマールボロの支援を得てチームを買収。やがてTAGポルシェ・エンジンで1984年と1985年にコンストラクターズ・タイトルを勝ち取ったほか、1988年にホンダ・エンジンを得ると4年連続でコンストラクターズ・チャンピオンに輝く活躍を見せた。 その後も長らくチャンピオン争いに絡むポジションにつけてきたが、タイトルを獲得したのは1998年の1回(エンジンはメルセデスベンツ)のみで、栄冠からは遠ざかっていたものの、2024年に26年振りにチャンピオンに輝いた。 量産車では、マクラーレンF1に続き、2004年から2009年までメルセデスベンツと共同でSLRを発売してきたが、2010年にロードカー部門を一新させ、現在はマクラーレン・オートモーティブの名の下、オリジナル・エンジンを搭載したミッドシップ・スーパースポーツカーのみを開発・生産している。 電動化については2012年に初のハイブリッドカー『P1』を公開するなど早くから取り組んできたが、100%電動化された電気自動車については「バッテリー技術がスーパースポーツカーに相応しいレベルまで進歩」するまで手がけないというのが公式見解となっている。 ■アストンマーティン ・初参戦:1959年 ・参戦シーズン数:6 ・優勝回数:0 ・タイトル獲得数:0 ライオネル・マーティンとロバート・バムフォードにより1913年に設立されたアストンマーティン。ちなみにアストンマーティンはブランド名で、正式社名はアストンマーティン・ラゴンダという。 『アストン』の名は、アストン・クリントン・ヒルクライムで優勝したことにちなんだものだが、国際的なモータースポーツで活躍したのは、1959年のル・マン24時間レースで総合優勝したのがほぼ唯一の例外で、1959~1960年のF1にフルワークスで参戦した際には入賞さえ果たせなかった。 2008年以降はスポンサーとしてF1に参入してきたが、レーシングポイントのオーナーだったカナダ人投資家のローレンス・ストロールが2020年にアストンマーティン・ラゴンダ株式の16.7%を買収して同社の経営権を獲得。これに伴い、2021年にチーム名をアストンマーティンF1チームと改称し、およそ60年振りとなるワークス参戦が実現した。 もっとも、パワーユニットは自社製ではなく、メルセデスからの供給を受けているが、レギュレーションが改正される2026年からはホンダにスイッチすることが決まっている。 量産車では、純スポーツカーというよりも高性能なグランドツーリング作りに長けている。彼らの名を世界的に知らしめたのは、1964年に公開された映画『007/ゴールドフィンガー』に同社のDB5がボンドカーとして採用されたことがきっかけ。これ以降も映画『007』にはたびたび登場し、いまやアストンマーティンとボンドカーは切っても切れない関係となっている。 レッドブル・レーシングのスポンサーだった2016年にはエイドリアン・ニューウェイの指揮下でハイパーカー『ヴァルキリー』のプロジェクトを発表したものの、経営陣の移行などに伴って計画は遅れ、最終的にはニューウェイらのアイデアをカナダのエンジニアリング会社『マルチマチック』が受け継ぐ形で開発が続けられ、2021年よりデリバリーが開始された。 ヴァルキリーはアストンマーティンのロードカーとして初めてミドシップ・レイアウトを採用したほか、ハイブリッド・テクノロジーを初投入。当初よりWEC世界耐久選手権のハイパークラスに参戦することが計画されていた。このプロジェクトは一旦キャンセルされたものの、2025年より参戦することが2023年に改めて発表された。 同じ2023年には、アメリカのルシード・グループと提携して電気自動車の開発に乗り出す計画を発表。2025年中に最初のEVをローンチするとしている。 [オートスポーツweb 2025年01月07日]